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第4話 猫の足跡を追って(6)
ふたりが黙ってしまったところで、香ばしい肉の香りが漂ってきた。話の区切りがつくのを待っていたのであろう。料理長自らが湯気の立つ皿を持って現れた。給仕はもう部屋に下がっているらしい。
「おお、美味そうだな」
揚げ焼きにした豚肉の塊に、同じく軽く揚げてある色鮮やかな野菜が添えられ、全体に甘酢あんが絡めてある。料理長はその皿をテーブルに載せると、続けてご飯とグラスを置いた。
色の濃い、長期間熟成させた酒と思しき瓶を料理長が取り出す。それをグラスに注ごうとするのをルイフォンが遮った。彼が料理長に耳打ちすると、料理長は軽く会釈をして厨房に戻っていった。
メイシアが疑問に思っていると料理長が再び現れた。今度は綺麗な色の瓶とワイングラスをふたつ持っている。
「酒のほうが、料理には合うんですけどね」
そう言いながら、料理長はふたつのグラスにワインを注ぐ。
「すまないな」
「仕方ないですね」
申し訳なさそうなルイフォンに、料理長は笑いながら応じた。
「当たり年のワインです。口当たりがいいですから、そちらのお嬢さんも、きっとお気に召しますよ」
料理長は「ごゆっくり」と頭を下げると、腹を揺らしながら彼の持ち場へと帰っていった。
メイシアは自分の前に置かれたグラスとルイフォンを交互に見た。
「まぁ、飲め」
初めに料理長が持ってきた酒は相当きついものに見えた。察するにルイフォンはかなりの酒豪なのであろう。
「……ルイフォン、未成年ですよね?」
「お前、俺の酒が飲めないのか?」
ルイフォンの目が、すっと細まる。メイシアは慌てて首を振った。
「いえ、食前酒くらいならいただきます」
彼女は、そっとグラスを手に取った。硝子の繊細な感触が指を伝わってくる。
ルイフォンの視線を気にしつつ、メイシアは恐る恐る口をつけた。唇に柔らかな液体を感じ、思い切ってそれを含む。癖のない、まろやかな甘さが舌を転がった。
「え? 美味しい」
メイシアは素直にそう思った。一気に飲み干してしまう。
「だろ?」
自分も飲みながら、ルイフォンが得意げに笑う。「では、もう一杯」と彼が手ずから、ふたつのグラスに注いだ。
ルイフォンが食事をしている横でメイシアは二杯目を口に含む。彼が上機嫌なのは料理が美味しいからだけではなさそうだった。
ふと、ルイフォンが尋ねた。
「お前、どうして、そこまで必死になれるんだ?」
「え? 何がですか?」
「異母弟のことだよ。母親が平民なんだろ? 貴族なら毛嫌いしていたとしても不思議じゃない」
「私は、おかしいですか?」
メイシアはワイングラスに映った自分の顔を見る。半分しか血の繋がらない異母弟とは、ちっとも似ていなかった。
「私の母は政略結婚で、父とは上手くいかず、私が小さい頃に実家に戻りました。私には両親と一緒の思い出はひとつもありません」
ルイフォンは皿に箸を運びながら、黙って頷いた。
「傷ついた私と父を支えてくれたのが継母です。私を実の娘のように可愛がってくれて、父と三人の幸せな家族でした。そこに、ハオリュウが増えたんです。小さくて可愛くて――私が守ってあげなくちゃいけないと思いました」
生まれたばかりの異母弟を見たときの感動を、メイシアは今も鮮明に覚えている。この小さな命には寂しい思いをさせたくないと思ったのだ。
「でも、私とハオリュウの関係は、必ずしも優しいものではなかったんです」
「……そうだな」
貴族の跡継ぎは男子であるのが原則だが、平民出身の継母の子であるハオリュウより、身分の高い貴族の母の子であるメイシアに然るべき婿を迎えて跡継ぎとすべきだ、と親族が声を上げている。それは〈猫〉として調査したルイフォンも知っていた。
「私の存在がハオリュウをおびやかすなんて……」
メイシアはこみ上げてくるものをぐっと抑えた。誤魔化すように、グラスに残っていたワインをあおる。
「……家族の中で、異質なのは私じゃないですか。ハオリュウは、ちゃんと血の繋がった父と継母の子で――。私はこの家族に加えてもらった『異邦人』なんです」
「おい……? メイシア?」
空のグラスに新たなワインを注いでいるメイシアに、ルイフォンが不審の声を上げる。嫌な予感がした彼は、空になっている自分のグラスとメイシアのグラスをすり替えた。
「私が鷹刀一族のところに行けば解決すると聞いて、嬉しかったんですよ。ふたりが助かる上に、私はハオリュウをおびやかす存在でなくなるんだ、って……」
メイシアの黒曜石の瞳に、淡い電灯の光が揺らめく。
ああ、そうか――と、彼女は思った。
彼女はずっと、家族の役に立ちたかったのだ。家族のために働けるなら、家族の一員として胸を張ってよいのだから、と――。
メイシアはワイングラスの脚に細い指を絡め、縁に唇を寄せた。それは運命の神への感謝の口づけのようであった。
「お前、顔が真っ赤だぞ!」
とろりした恍惚の微笑みを浮かべるメイシアに、ルイフォンが血相を変える。
「ルイフォン、ありがとうございます」
極上の笑みを浮かべて彼女は、ふっと力を失った。
彼は、とっさに空のグラスを取り上げ、彼女の上半身を抱きかかえた。
「おい……嘘だろ?」
ルイフォンは呆然とする。
そのとき、彼は食堂の入り口に人の気配を感じた。ぎくりとして、首を回すとそこにいたのは想像通りの人物だった。
罵声を浴びるルイフォンの腕の中で、メイシアは久し振りに――本当に久し振りに、心地のよい眠りの世界に落ちていった。
~ 第一章 了 ~
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