ざあっと風が吹いたなら

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ざあっと風が吹いたなら

 ざあっと風が頬を撫ぜ、桜の木からの花弁がここまで吹き寄せてきた。  校門までの並木道は春にだけその存在感を増すのだ。  一瞬目を止めてしまう。赤く色づいてきた空に舞う桜吹雪はやはり綺麗で、だけど今は小憎らしい。  こぶしを握ってはらはらと花弁をつかもうとしたら、するりと指の間を抜けていく。  肩透かしに終わった告白チャレンジの後はこんなことまでうまくいかない。  ひと際立派な枝ぶりの桜木に駆け寄ると、いじめるように蹴り上げた。 「クソッ! クソッ!」    ボールを蹴り飛ばすような勢いで桜の幹を蹴ると、桜木の花房同士が丸く集まって咲く梢が揺れる。八つ当たりだとはわかっていたが、自分が起こした小さな花吹雪を見ると、少しだけ胸がすいた。  ふと人の気配に気が付いたら、「桜の木の下で告白するといいぞ」と教えてくれた幼馴染が校舎側に立っていた。口をへの字にして小さく睨みつけると、いつも通り飄々と彼は笑う。 「おい、桜をいじめるな」 「いーんだよ。どうせすぐ散る」  美しい桜もろともに、彼のことまで憎たらしくなった。つい、いつも通りの気安さでついつい語調強く当たってしまう。 「おー。こわっ」    扱いには慣れたものだといった感じで、幼馴染はにやっと笑顔を浮かべたままなので肩透かしを食らう。彼は花弁を頭の上にブレザーを着た腕を伸ばしてこぶしを握ると俺の傍まで歩み寄る。  そして掌を目の前で開いて見せた。  大きな掌にしっかりと捕まえられた花びらを見て、要領も器量もいい幼馴染がまたうらやましくなる。  またこいつが何人かの女子に告白されていたらしいと、彼と同じクラスのやつらに聞いたばかりだ。昔からこの幼馴染は進級進学のタイミングで告白されていたので特に物珍しくも感じなかった。  しかしなんなく彼女ができそうなモテ方をしているくせに、何故か恋人を作ろうとしないのだ。  今も目の前でせっかく捕まえた花弁もさらっと逃がしてやる姿に、うらやましさとかコンプレックスとか憧れとかごった煮の複雑な感情が刺激されて、俺は「はーあ」っと大仰にため息をついた。 「うそつき……。桜の木の下で告白したらいいかんじだっていってたじゃん」  校舎の端には枝ぶりの良い立派な桜の木が何本か立ち並んでいる。  満開に咲き誇るこの季節に桜の木の下で告白するとうまくいくという伝説がある。そう教えてくれたのはこいつだった。 「ちょっと映画でもいかないかって軽く誘うつもりだったのにさ」    席が近くなってからなんとなくしゃべるようになって、ちょっと気になっていた明るくておしゃれで可愛い女の子がいる。  クラス替えの前、春休みに一緒にどこかに出かけてみたいなとか、そんな軽い気持ちで、誘ってみようと思った。もちろんその時、感触が良ければあわよくばとそのまま告白してみたらいいんじゃないとも思った。  今年は桜の花がやたらと早く咲いている。せっかくだから桜の下で誘ってみよう。SNSで誘うよりも成功率が上がりそう。浮かれた春の暖かな陽気にそわそわとそんな欲が出た。  ただそれだけ。スペシャル気合を入れたわけではない。  ついで。ついで。  そんな風に自分に言い訳してみるが、要は告白が出来なかったのだ。  その時、青空では雲を流しながら、ざあっと風が吹いて、桜の花びらが一斉にその空へと吹き上がった。 「わあ、綺麗」  肩口までの黒髪を揺らした彼女は両手を軽く広げて花吹雪を嬉しそうにころころ笑う。決意をもって口を開きかけた俺には目もくれず、空を仰ぎ見て桜の花びらの行方をただ追っていた。  それで結局、タイミングを失ってしまった。 「綺麗だな」と何とか呟けただけ。  昼、日中の太陽を浴びた桜の花びらは天高く駆け上り、枝を彩って揺れる花房が白く発光して見えるほど、悔しいけれど本当に綺麗だった。  今もまた、暮れていく日の下、新たな美しさで魅了してくる桜をぼうっと眺めてしまう。 「桜に見惚れられたら、もう、無理じゃん」  すると傍らに立つ幼馴染に囁かれた。 「俺は嘘はついてない。お前が桜に負けただけ」 「……っ」    図星を指されるとぐうの音も出なくなる。ますますむすっとすると、また風が吹いてさやさやと前髪を風が揺らす。  一歩正面に詰めてきた幼馴染に前に立たれると、目線を上げねばならぬほど背が高い。 「なんだよ?」  髪を少しつままれる感覚に眉を顰めたら、指先に花弁を摘まんだまま、幼馴染が大きな目を細めて微笑んだ。 「俺ならどんなに綺麗でも、桜より自分の方ばっか見る相手と付き合うけどな」 「あ。そういうこと?」 「そういうこと」 「俺は桜に負けたのか……。嫌いだ、桜なんか」  また花弁がほろほろと散る。幼馴染と自分の上に降りかかる花弁に手を伸ばすと、じっと見つめてくる彼と目があいにやっと微笑んだ。 「はあ。仕方ないよな、憎たらしいけど、桜はやっぱ綺麗だ。これに勝てるやついるのかな?」 「……まあ、お前は負けてばかりでもないと思うけどな」 「は? 」  彼はふうっとわざとらしくため息をつく。 「俺も桜に完敗だ」 「どういうこと?」  上背のある幼馴染が大きな掌でがしっと肩を掴まれると、促されるように校門の方に歩き出した。 「失恋記念になんかおごってやるよ」 「失恋してないし」 「はじまる前に終わってよかったな?」 「よくないし」 「俺はよかった」 「はあ? だから何だよそれ。奢るならバーガー三つは食うからな?」 「はは。わかったよ。いくらでも。そのあと映画でも行こう」 「おお、いいぜ。そっちもお前のおごりな?」  校門へ向かう桜並木を仲良い友と軽口を叩きながら歩けば、胸の奥の擦り傷も気にならなくなった。                                  終
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