初めて、奪って。

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初めて、奪って。

「ねえ、そんなに抱きつかないでよ。鬱陶しいから。」  耳元で聞こえる。言葉に反して優しい、その少女の囁きが。素直に謝るのはダサい気がして、俺は何も言わないまま彼女から離れた。彼女は月明かりを背に佇んでいて、顔がよく見えない。でもきっと、いつも通り、ツンとした猫みたいな顔をしているんだろうな。  彼女の名前はヒヨ。何を考えているのかわからなくて、不思議な女の子だ。校則違反をしているのが常で、ピアスも着けてくるし、スカートも短い。この前なんか、髪を銀色に染めてきた。一般的に見ればヒヨは「変な子」で、「不良少女」。でも俺は、気付けばそんな彼女に惹かれていた。無口で誰の言葉も無視するヒヨは、話してみると意外と面白い子だった。言葉は冷たいけれど、いつも声は温かい。たまに冗談を言ってみせるのも、可愛らしいところだ。それでいて、クラスの女子と比べると段違いに垢抜けていて大人っぽい。しかし俺は何より、芯があるのにぼやけてしまうようなヒヨの声を気に入っている。 「怖いならやめなよ。先生に怒られることとか、親を呼ばれることとか、友達に冷たい目で見られることとか。あと、痛いってこととか……怖いと思うなら、今の内に引き返そう?」  今は修学旅行、一日目の夜。ベランダはやはり、肌寒い。ヒヨの体温から離れた今は、余計に。 「ううん、大丈夫だよ。続けて。」 「……いいの?初めては一回きりだよ。本当に、今がいい?あと少し待てば、夏休みなのに。」  ヒソヒソ話をするヒヨの声がくすぐったくて、口元が緩みそうになった。 「今がいい。今、ヒヨにしてほしい。」 「……変な子。」  バチン!! 「いッッ……!ちょっとヒヨ、せめてタイミングくらい教えてよ。」  本当に、ヒヨは……。俺は、痛みの走った左の耳たぶを触ろうとした。しかしそれはヒヨによって阻止される。 「まだ終わってない。」  ピアッサーを握ったまま、ヒヨは冷静に言い放った。まるで、子供に何か言い聞かせる母親の声だ。 「に、いち……ぜろ。」  耳元でカチャカチャと音がして、すぐにヒヨの手が耳から離れた。 「出来たよ、ファーストピアス。」 「ありがとう、ヒヨ。」 「……初めて、もらっちゃった。悪いことしちゃったみたい。」  使い終わったピアッサーを、パジャマの左ポケットに入れるヒヨ。俺、本当に耳に穴を開けたんだ。急に実感が襲ってくる。 「頼んだのは俺だから、気にするなよ。」 「わかった。」 「変な頼みなのに、聞いてくれてありがとう。お礼としてジュース買っといたから、あげる。」 「ヒヨそれ嫌い。」 「え?ごめん。」  事の発端は一週間前に遡る。階段横で掃除をサボるヒヨと一緒に、掃除をサボって話をする。それが俺達の日常。その日もいつも通り、ヒヨの隣に座って話したんだ。 「来週、修学旅行だな。楽しみ?」 「あんまり。シュウヤと部屋違うし。」 「一緒が良かったの?……でも俺達って、一応異性じゃない?」 「知らない。」  ああ、こういうところだ。ヒヨのこういうところに惹かれる。良い意味でも悪い意味でも、他の女子とは違う。かと言って、男子と同じ訳でもない。だから俺はたまに思う。ヒヨは男でも女でもない、ただ「ヒヨ」という生物として生きているんじゃないかと。 「そっか。なあ、ところでさ。お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」 「やだ。」 「そんなこと言わないでくれって。……耳、貸して。」 「ん。」  俺は小さな声で伝える。 「修学旅行中のどこかで、俺の初めて(にピアス)奪っ(開け)てくれない?」 「……なんで?」 「うーん……思い出作り?お小遣いでピアッサーは一つ買ってあるから、あとはヒヨに開けてもらうだけ。」 「なんでヒヨが?」 「親友だから、初めては任せられるかなって。」  そしてヒヨは、首を傾げながらも「そっか。」と了承してくれた。  初めて感じる、耳たぶに何かあるという感触が気になって、俺はしきりにファーストピアスを触っていた。少しジーンとして変な感じがするけれど、ヒヨも同じ感覚を味わったんだと思うと感慨深い。 「シュウヤは、ヒヨといて楽しい?」 「急だね。うん、楽しいよ。」  いつもなら「そっか。」と終わらせるのに、彼女は加えて、「ヒヨはシュウヤの親友?」なんて尋ねてきた。 「俺はそう思ってるよ。」 「じゃあ、ヒヨも。」 「……ヒヨは、俺といて楽しい?」 「微妙。」 「素直だな……。どこが微──」 「微妙に、楽しい。」  ヒヨは、いつもは合わない視線を合わせてきた。驚いて、俺はそれを見つめる。 「……そっ、か……。」  きっと俺の目は今、ヒヨより奥で輝くあの満月に引けを取らないくらいまん丸なんだろうと思った。ピアスを開けてみたら、変わるのは自分だけだろうと思っていたが、もしかしてヒヨにも何か変化があったのか? 「ねえ、なんでピアス開けたの。」 「え?ヒヨとのお揃いが欲しくて……。あと自分を変えたい気持ちもあって、変わるならヒヨみたいになりたかったんだ。……上手く言えないな。まあ、ちょっと悪いことしたくなっただけだよ。」  今の自分を変えて、ヒヨみたいに大人っぽくなりたい……なんて、正直に言うのは恥ずかしかった。それを言うのは大人っぽくないからだ。そんなことを考えていたら、ヒヨに「変な子。」と言われた。 「……なにか変わった?」 「うん!超達成感ある。ヒヨと初めてお揃いが出来て、嬉しい。大人には怒られるかもしれないけど、それもまた一興かなって。……ヒヨは、何か変わった?」 「初めて、奪って……ちょっと達成感。」  ヒヨは言葉少なにそう語った。ああ、こうして正解だった。  この小さな(成長)が、何よりも良いお土産だ。 「──で、お前らはまたしでかしたと。先生の身にもなってくれよ……本当に、(ひいらぎ)(よる)組ときたら……。」  先生は文字通り頭を抱えた。柊夜組とは、俺・柊夜(シュウヤ)柊夜(ヒヨ)のこと。そう、ヒヨとは漢字が同じなのだ。 「シュウヤお前、ヒヨの監視役してくれてるんじゃなかったのかよ?先生はてっきりそうだと思って信じていたのに……。」  朝、俺と同室の男子は全員、すぐに俺のピアスに気付いた。しかし、昨日ヒヨが受け取ってくれなかったジュースを分けて飲ませたところ黙っていてくれた。その上、俺の左耳周辺を歩いて盾にもなってくれたのだ。……正直に言うと、桃太郎になった気分だった。  でも、背の高い担任の目はかいくぐれずに結局バレたのだった。オマケに勘も鋭い担任は、「初めて自分で開けたにしたら上手過ぎないか?」と詮索。真っ先に疑われたヒヨが素直に認めたため、先生の部屋で事情聴取されて今に至る。 「なんだよ、修学旅行にピアッサー持参って!学生は学生らしく青春(アオハル)してくれっての。もっと他にあるじゃん、お揃いが欲しいなら木刀でも小洒落たストラップでもなんでも買えって。」  担任の長々とした説教に、ヒヨは口を開く。 「……お金じゃ買えないお土産。」 「だよな、ヒヨ!!」  相変わらず綺麗なその声に、俺はニンマリ笑みを浮かべた。 「あああもう!!一致団結するなーっ!!」
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