弐.二律背反

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【厄介者】  この厄神は、一族の長で神様である割に、情感豊かだとアマリは思った。長である特権と余裕もあるのだろうが、実家の主である父……両親の方が、よほど取り繕った能面の顔をしていた気がする。 「承知しております」 「……お前は、民に崇められる『尊巫女』なのだな。どこまでも」  どこか皮肉めいた口調でぼそり、と彼は呟き、口角を僅かに歪めた。 「お前を襲った(やから)共から聞いた。あの尊巫女は俺を『妖厄神()』と呼んでいた、と」  あの時、そして今の自分の状況を改めて思い出し、痛みの伴う複雑な思いに絞られる。 「わざわざ此処(ここ)に送り込む位だ。相当、狡猾か酔狂な女を寄越(よこ)したのだろうな、と思っていたが……違ったようだ」  一呼吸した後、荊祟はアマリの淡い瑠璃色の()をじっ、と凝視し、言い放った。 「『清廉な尊巫女』として、髪から爪先に至るまで培養された人族の女、だな」  内心、情けなく思っていた自身の在り方を見抜かれ、更に言い当てられてしまった。惨めな思いが胸を締め付け、いたたまれなくなる。  この相手に遠慮は要らぬとふんだのか、煽って自分を試しているのか、彼は痛いところばかり突いてくる。きまりの悪さが一転、少し腹立たしくなったアマリは、ずっと聞きたかった事を吐き出す。 「あ、貴方こそ……変わった神様でいらっしゃいます。贄にして喰う事も、殺す事もなさらない。……私の存在などお邪魔でしょう?」  一寸の沈黙が流れた後、ぽつり、と荊祟は言い放った。 「どんなに忌まれようが疎まれようが、神族の長だ。無意味な殺生はしない」  意外な彼の答えに、アマリは驚き、思わず彼の琥珀の瞳を凝視した。尊巫女として様々な人族と応対してきた彼女は、明らかに見栄を張ったり、取り繕うとする素振りや、()の色は判別出来るようになっていた。  だが、目の前のそれは、自分に嘘偽りを()く眼差しではなかった。彼は無差別に人族の地や命を脅かす妖厄神……禍神(まががみ)ではなかったのか…… 「厄界の者に悪影響が出るやも知れぬし、亡き者にしたところで人族共への後始末に困る。無益でしかない」  彼女の心中を見抜いたように、ふ、と僅かに自虐的な笑みをこぼす。その瞬間、琥珀の瞳に微かな陰りが入ったのが、アマリには見えた。心の中に小さな波紋が起こる。 「なら私は、どうしたら良いのですか……?」 「とりあえず、もう暫くの間、この屋敷に身を置け。お前の処遇については、もっと家臣と話し合う必要がある」  またアマリは少し意外に思った。この一族の長は、重要事項を独断で決めない。少なくとも、彼は暴君では無いようだという事実に、彼女の中で想像(イメージ)していた()()()の像が薄れ、崩れていく。  再び唖然とした面持ちで彼を凝視したアマリを、また不審そうに眺めた後、荊祟は改まった厳格な口振りで告げた。 「カグヤ同伴なら、今後は屋敷内をうろついて良い。(ただ)し、妙な真似はするな。悪目立ちして、界の者の反感を買ったら面倒だぞ」  その命令を最後に、彼は忍びやかな足取りで部屋を出て行った。残されたアマリは変わらず茫然としている。心配して、そっ、と近くに寄ってきてくれたカグヤに気づき、少し躊躇(ためら)った後、恐る恐る問いかけた。 「あの……カグヤさん」 「何か?」  いつも同じ表情で、声色すらあまり変わらない彼女の心や真意が判らず、アマリは不安だった。だが、自分の言葉一つ一つを、こうして律儀に返答してくれる対応が、今の混乱した状態では心底ありがたいと思う。 「長様は……いつも、あのような振る舞いをされるのですか?」 「あのような、とは?」 「こう……呆れたり、苦笑したり、少し哀しまれるような素振りを、貴女や家臣の方にもされるのでしょうか」  輿()()()の夜に出会った時は、もっと非情で義務的な言動、主らしい冴えた威厳を纏っていたが、さっきの彼は少し違う人のように感じた。何というか……人形のように生きていた自分より、よっぽど()()らしい。 「いいえ。私の知る限りですが…… 基本的に冷静沈着で、毅然とされています。動じられる事はほとんどございません」 「そう、ですか……」 「貴女様には、先程の長様がそんな風に見えられたのですか」  アマリが静かに頷くと、カグヤは少し怪訝そうな素振りを見せた。彼女は少し離れた(ふすま)越しに待機していたが、くノ一の彼女なら察知出来そうな位の変化だ。少し考えた後、カグヤは続けた。 「確かに…… らしく無いご様子ではありましたが」  彼女の言葉で、彼――荊祟(ケイスイ)という妖厄神の事がますます分からなくなり、アマリは混乱した。  その夜の夕餉(ゆうげ)時。何時ものように、てきぱきとカグヤが支度を進める。自分も手伝う事をアマリは申し出たが、『長様から命じられた、私の務めですので』と丁重に断られた。  こんなに律儀で責任感の強い女性だから、あのケイスイも信頼しているのだろう、と今までは思っていたが、先程の彼とのやり取りで、それだけでは無いような気がしていた。新たに生まれた違和感を確かめたく、向かい合って座るカグヤに対し、アマリは思い切る事にした。  久方ぶりに誰かと食事をしているという慣れない状況で、相手は心を許している訳ではない異種族の者…… 膳の皿が全て空になった頃、恐る恐る、切り出す。 「あの……カグヤさん」 「何か?」 「……出過ぎた問いである事を承知で……お尋ねしたいのですが」  改まった彼女の様子に、カグヤは飲んでいた茶の湯呑みを置き、身構える。 「はい。何でしょう」 「……あの方は、人族の地に……何を、なさったのでしょう……?」  アマリの予期せぬ問いに驚いたのか、あの厄神と同じ琥珀の大きな瞳を見開く。彼女の瞳孔は、明らかに揺らいでいた。 「……それは、あまりお知りにならない方が良いかと。貴女様にとっては気分の良い話ではありません」  神妙な声色で律儀に返すカグヤの言葉に、ぐっ、とアマリは息を詰める。ある程度の予想は、勿論していた。今までに両親や従者から見聞きしてきた、人族を襲った数々の災厄――火災、地盤沈下、飢饉、空き巣、殺しなどの治安の悪化。  どれが、どこまでが、彼の仕業なのか知らない。ずっと(やしろ)から出ていなかったアマリに外の状況はわからなかった。しかし、願掛けの為に、わざわざ遠くから社に訪れる悲痛な面持ちの民の姿は、数え切れない程……何度も見てきた。  だが、何故か知りたかったのだ。あの厄神が、どんな事を、どんな力で今までしてきたのか。どんな風に生きてきたのか。無性に気になり、仕方なかった。 「……貴女の事を、とても信頼されているように見えました。家臣の方の事も気にかけていらっしゃるようで……」  続ける言葉を失い、俯く。あの妖厄神は、少なくとも他者を不幸にして楽しむような神ではないように見えたのだ。何か致し方ない、どうにもならない理由があるのではないか、彼自身にとっても不本意な行いではないのか――あの夜、自分を助けたように。 「……以前、私はあの方に身を救われ、居場所を頂いたのです。それで勝手に恩を返しているだけの事」  はっ、とカグヤの顔を見た。彼女の眼差しには、確固たる決意と覚悟の光が宿っている。 「アマリ様もあの方に危機を救われたからなのでしょうが…… 決して貴女様の為ではありません」 「……」 「私がこのような事を物申すのも妙ですが…… よく知らぬ他者を簡単に信用し、好意的になられるのは危険でございます。対立的な立場にある者なら(なお)の事。貴女様を油断させる策略、巧みな話術やもしれません……私とて同じです」  自分の監視役でもある眼前のくノ一を、アマリは思わず凝視した。
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