壱.両極の能

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壱.両極の能

【アマリ】  生物というもの……特に (ヒト)は、何かしらの不運や不幸に遭う事、災厄に襲われるのを恐れながら生きている。なるべく避けたい、平穏無事に一生を終えたい、というのが命ある者の本質であり、本能だろう。  そして、比較的軽い不運が遭った時、遭いたくない時に、古来から言われる決まり文句がある。 『ついてなかったな。疫病神が来た』 『厄日だから、結納は避けなさい』  どこの国でも、世でも、それは……――変わらない。 「あ…… 雪……?」  曇天(どんてん)の空から、ふわ、と顔に落ちた冷たい華。気づいた一人の巫女装束の少女が、そっ、と嬉しそうに手を伸ばす。  今年の初雪だ。ひらり、ゆらり、と舞いながら、白く小さな羽根のように、儚く降りて来る。足下の砂利がぶつかり合い、耳障りに鳴るのも構わず、少女は(ほこら)の側を歩き回る。  美しいけれど、決して掴めない。そんな事実はとっくに知ってはいるけれど、それでも手に取りたくなるのは、十八歳の若さ故の好奇心だろうか。 「アマリ様? 参拝の方……お客様がいらっしゃいましたよ」 「申し訳ございません。今、参ります」  初雪と無邪気に戯れる少女は消え、しゃん、と背筋を伸ばし、凛とした面持ちの尊巫女(みことみこ)に変わる。境内の建物に戻っていった彼女には、これから重要な『仕事』があるのだ。  彼女――アマリは、(やしろ)(つかさど)る一族の生まれだが、尊巫女の中でも極めて(まれ)な異能を持っていた。  陽光が当たると京紫(きょうし)に透ける、濡羽(ぬれば)色のゆるやかな長い髪。初雪が積もった直後のごとき白い肌。淡い瑠璃色に煌めく(つぶ)らな()という、()誰時(たれどき)を思わせる風貌。  その出で立ちは周囲を魅了するが、稀と()われるのは、それだけでは無かった。 「奥様。本日は、いかがなさいました?」  落ち着きある白檀(びゃくだん)(こう)がほのかに漂う、(ひのき)を基に造られた八畳程の畳屋。中央に火鉢を挟み、自分よりもずっと年長者の依頼人と向かい合い、正座する。  厳かというよりは温もりと安寧(あんねい)を感じさせる空間の中、しっとりとした澄んだ声で眼前の常連者に語りかけ、(みやび)やかな微笑をアマリは浮かべた。  純白と朱の巫女装束に、京紫の羽衣を纏う出で立ちは、正に高貴な生まれの神職者と言った印象だ。彼女の実家が司る、この(やしろ)に訪れる者も、位の高い一族や裕福な者が多い。  彼女の面談式の『(ほどこ)し』は大変評判が良いが、()()()()で頻繁には行えない為、本人の意思とは無関係に、付加価値が付けられ対価が高額になっていたのだ。  今日の参拝――依頼者は、人族の都の重職に就く男の奥方だ。見合い……政略婚だったが運良く良縁で、仲睦まじい夫婦だったらしい。しかし、長年が経つにつれ熱も情も次第に冷め、すれ違いが生じて思い悩み、体調も崩してきたのだという。 「やはり、主人と上手くゆかず…… 何を聞いてもあの方が理解し(がた)く、こちらの事も理解して貰えずで…… 苛立(いらだ)ちが抑えられないのでございます」 「……お嫌いになられたのでございますか?」  ずっと固くなっていた身体が震え、はっ、としたような表情になり、俯いて夫人は静かに首を振った。 「お見受けしたところ、ご主人様の嫌な面ばかり気に障るのでは……?」 「アマリ様。(わたくし)に非があるとでも、仰るのですか?」  少し荒立てた素振りで問う夫人を、アマリは変わらず穏やかな態度を崩さず、静かな声色で続ける。 「いいえ。誰しも精神(こころ)が疲弊すると、良くない方に目がゆくものです」  ぴくり、と(こめ)かみが微動した様子を確認し、アマリは白魚のような右手を掲げた。眼を閉じて精神統一し、天に祈りを捧げると、ほのかな虹色の光と共に、一輪の花が現れた。  素朴な淡い瑠璃(るり)色の――亜麻(あま)の花だ。 「花能(はなぢから)は『あなたの親切が身に沁みる。感謝します』でございます。手に取って、ご主人様にして頂いて嬉しかった事、お好きな所を思い出して下さい」  可憐な亜麻の花を手にした夫人は黙り込み、泣き出しそうな面持ちになった。微かに肩が震えている。夫の事をまだ好いているのだろう。だからこそ、仲違いをしては悩み、苦しむのだと考えた。  そんな彼女の心情を(なだ)め癒していくように、夫人の掌の中で亜麻の花は朧気に瞬きながら溶けてゆく。幻想的で、美しい光景……  アマリが召喚して生み出した花は、花言葉の意味が具現化する力――『花能』に変わり、依頼人の心に深く、授かる。 「落ち着かれましたら、今一度、ご主人様と今のお気持ちを話してみて下さい。(ちな)みに、この花の精油には、滋養に良い成分が含まれております。お身体の疲労は精神にも障ります。ご自愛もなさって下さい」 「アマリ様……‼ ありがとうございます‼」  両手を合わせながら首部(こうべ)を垂れ、夫人は何度も礼を言った。彼女の帰路を見送った後、艷やかな絹地の座布団の上に座り込み、アマリはゆったりと足を崩した。僅かな汗が額に滲んでいる。 「アマリ様。大丈夫ですか」 「問題ありません。いつもの事です。少し疲れただけですよ」  彼女の能力は、自身の生気を利用し、その力を変換することで発揮される。故に、施しを受ける者は限られている。その事は侍女も承知だった。複雑そうに微笑み、労るように言う。 「……亜麻の花、美しゅうございました。こんな季節に見られるのも、アマリ様のおかげでございます」  亜麻は春夏の花だ。紅葉の見頃が終わったばかりの、今の時期には咲かない。 「そう言えば、アマリ様のお名の由来でもございますね。瞳のお色と合わせて『亜麻璃』……素敵です」 「ありがとう」  微笑を浮かべ、丁寧に会釈する。いつか両親にその事は聞いた時は、アマリも嬉しかった。だが、その名には隠された裏の意味がある。その事を下女の噂で知ってしまった時の、裏切られたような絶望感は忘れられない。  侍女が「お茶をお()れ致しますね」と告げ、その場を離れた。一人きりになったアマリは、ぽつり、と呟く。 「……『殿方と婚姻する』って、どんな感じなの……?」  先達者のように説いてはいるが、依頼者の悩みを、アマリが実際に経験した事は無い。相手の心情を感知し、それに合わせた力を授けるという、全て異能ありきなのだ。  どんな形であれ自分には縁の無い、得られない事柄だと言う事は、はっきり判っていた。この(やしろ)を取り巻く以外の世界を、彼女は知らない。知らないまま、間もなく人生の終わりを迎える……  そんな未来が、時折、何とも言えない無力感、やるせなさを覚えさせる。 「アマリ様。一刻程後、次のお客様がいらっしゃいますので、ご一服下さいませ」  施しが終わった後、毎回耳にする侍女の同じ言葉。変わらない仕組み。そんな状況でも、今まで通りの一日が繰り返されている。何事もなかったように。これからも無いかのように。  尊巫女(みことみこ)の中でも、極めて稀な異能を持って生まれた亜麻璃(アマリ)の一生は、十八になったばかりの冬までだと……先日、決まった。
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