壱.両極の能

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【妖厄神】 「けっ、荊祟(ケイスイ)、様……⁉」  アマリと襲いかかっていた番人から、少し離れた場所にいたもう一人の番人が、幻でも見たような間の抜けた声色で叫ぶ。  その声に合わせるように、荊祟と呼ばれた青年らしき男は、首元に当てていた刃先を、今度は彼の額ぎりぎりのところに移動させ、そのまま追い立てるようにアマリから離れさせた。一呼吸する間の、ほんの一瞬の出来事だった。  壁になっていたものが無くなり、ようやく開けたアマリの視界に、震え上がってへたり込んでいる番人の額に、日本刀らしき刀を突き付けている黒っぽい長い人影が映った。  明らんできた暁の逆光でよく見えないが、濃灰の硬質な長めの前髪は非対称(アシンメトリー)に分けられ、短い方と襟足は後方に逆立てられている。ほのかな光に当たった部分は月白(げっぱく)に透け、銀糸の(ごと)く煌めいていた。  漆黒の羽織に藍鼠(あいねず)色の長着物の下は、(しのび)装束のような漆黒の履き物と草履。細身の腰には革紐がきつく巻かれ、刀の鞘と小ぶりの巾着袋、数珠玉(じゅずだま)がぶら下がっている。  人族の世界だと、野武士か忍と判別するような出で立ちだが、耳はやはり笹のように尖っていた。顔下半分を被い隠した、黒地の布で表情は分からない。が、髪の隙間から見え隠れする、黄金(こがね)色に鋭く光る切れ長の眼を、より一層、印象的に魅せている。  やはり人族とは違う異界の者なのだと、安堵から再び朦朧(もうろう)とし始めた脳で、アマリは思った。 「……(おさ)様、何故……こんな、早く……?」  先程までとは別人のように狼狽(うろた)え、刀を向けられた番人が、情けない声色で問いかけた。 「黎玄(れいげん)を飛ばし、密かに様子を伺わせていた。……念のためだったが、賢明だったようだ」  淡々とした抑揚のない物言いだったが、その声色は重く、静かな怒りが含まれているのがアマリにもわかった。威厳という冴えた圧を感じさせるのは、彼が一族の長だからだろうか。  ギャア、と高らかな鳴き声を上げ、朱色の眼光を放つ(たか)が、バサッ、と焦茶の翼を羽ばたかせ、布が厚く巻かれた彼の腕に止まる。  「よくやった」と荊祟は呟き、懐に下げた袋から木の実のような物を左手で取り出し、指の空いた漆黒の手袋越しに渡す。以前、実家の屋敷に都の遣いで来られた鷹匠(たかじょう)の方みたい……とアマリは思った。  彼の長く伸びた指先には、黎玄と呼ばれた鷹とさして変わらない、鋭く伸びた爪が光っている。 「……この女を喰うなり犯すなりすると、我ら一族の力が失墜するやも知れぬ。その事はお前達も知っているはず」  眼光だけで斬られるのでは、と錯覚するような鋭利な黄金(こがね)の眼差しで、顔面蒼白の番人二人を交互に睨み付けた。一人には刀を突き付けたまま、じりじり、と詰める。 「長である俺に逆らってまで、珍しい女が欲しかったのか……? 反逆か?」 「……とんでもございませぬ!! 我々はそのような謀反(むほん)(くわだ)てたのではございません!」  赦しを乞おうと、刀を向けられた番人がまくし立て、慌てふためきながら弁解する。 「左様でございます! 人族とはいえ……女でございましょう? 折角の厄界にいない種……見栄えも悪くない。少しばかり()()をしても良いのではないかと伺いました」 「如何(いか)にも。要は、契りを交わさなければ良いのですから…… 何なら荊祟(ケイスイ)様が楽しまれた後でも構いません」  この言葉で、ざわり、と周囲に烈な殺気が満ち、荊祟の眉が吊り上がった。こめかみに青い血管が浮かび上がり、発した眼光が稲妻のそれに変わった。 「……貴様()()、俺を色狂いの(けだもの)とでも思っているのか……?」 「い、いえ‼ 決してそのような事は……‼ 私共は、ただ……」  完全に長の怒りを買ってしまった事を認識し、番人二人は急いで土下座しようとした。 「もう()い。粛清(しゅくせい)する」  チャキ、と(つば)を整える音が鳴る。と同時に、へたり込んでいる方の番人の首元に、再び刃を強く押し付けた。彼の汗ばんだ皮膚から、今度は一筋の赤い滴が流れる。  ――私達と同じ、色……  そんな至極緊迫した状況だったが、完全に茫然としていたアマリの脳は、そんな唐突な感想を浮かび出す。 「戻って仕置きを受けるか、この場で俺に斬られるか、とっとと選ぶが良い。どうする」  残酷で容赦のない最終警告に、今では哀れに見える位に縮み込んだ番人が、涙声で答えた。 「――仕置きの程を……」 「……この女の処分は、俺が決める。早まった事はするな」  ようやっと気が鎮まったらしい彼は、ゆらり、と刀を下げて鞘に収めた。そして、すっかり茫然自失状態、死んだ魚の目に変わった番人二人を、木船に備えていた縄で、そのまま易々(やすやす)と合わせ縛り上げた。 「……あ、ありがとう、ござい……ました。助け、て頂……」  此処(ここ)に現れてから、一度も自分の方を見ない彼に対し、反射的に呂律(ろれつ)の回らぬ口で、アマリは礼の言葉を発していた。ようやく、荊祟は彼女の方を向いたが、冷ややかな眼差しでそんな様子を凝視している。  次第に思考が曖昧になり、目の前が揺らいでふらつき出した。ゆるゆる、と力が抜けていくにつれ、彼女の身体はうつ伏せに倒れ込む。もう、限界だった。  このまま眠り込んでしまったら、長である彼に殺されるかもしれない。とは言うもの、抵抗する力はもう無かった。どうせ全てばれている。今更、彼が自分を贄として一族に渡す事も、伴侶にする事もないだろう……と薄らぐ意識の中、アマリは考えた。  尊巫女の責務は果たせないが、人族……女の尊厳だけは、どうにか守れたようだ。それだけでも幸いだったと思うしか、無い……  自分の人生とは何だったのか……と、一瞬思ったが、次を考える間もなく、アマリの思考には(もや)がかかり、視界には蓋がされ……やがて、意識は彼方に消えた。  ――…………  ふわり、ふわり、と身体が妙に軽い。どうやら宙に浮かび、飛んでいるらしい。心地好い風に流されているようだ。そんな(おぼろ)な感覚が、彼女が最後に覚えていた事だった。  ――嗚呼(ああ)……冥土(めいど)に向かっているのね……? どなたかお迎えにいらしたのかしら……  そんな疑問がぼんやりと(よぎ)ったが、間もなく襲った突風と強烈な閃光により――消え失せた。
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