場面一 雪の日のため息

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 今日十二月十五日は、六年前、高杉晋作がわずか八十人程度の手勢を率いて藩に叛旗を翻した「功山寺決起」、あるいは後に「回天の義挙」と呼ばれた、挙兵の記念日だ。  高杉は奇兵隊初代総督だったが、既に隊を離れていた。そして有朋は当時軍監として、総督不在の隊を預かる立場だった。 『起たんというなら、もう勝手にせえ!』  藩政府との妥協の可能性を模索しつつあった奇兵隊の陣屋を訪れた高杉は、動こうとしない有朋たちを前に傲然と言い放った。 『ならば、わしはただ一騎となっても君公の為に駆けてみせる。一里行って斃れようとも国家に殉じる。十里行って滅びようとも君公に殉じる。それが、毛利家三百年来の家臣たるこの高杉のとるべき道じゃ。さあ馬をよこせ、この腰抜けども!』  八十人で藩に戦いを挑むなど、正気の沙汰ではない。ほとんどの者がそう思っただろう。有朋もその一人だった。  まさか本当に、その決起が奇兵隊を引きずり込み、草莽の士を巻き込み、藩体制をひっくり返すなど、想像さえ出来なかった。           *  時折白く光る雪を眺めつつ、有朋はそっとため息をつく。  高杉晋作は、幕府瓦解前の動乱の世を稲妻の如く走り抜け、二十九歳で病没した。有朋は、その絶望的なまでに遠いその背を、焼けるような憧憬と共に見詰めるしかなかった。最後まで手が届かないまま、一歳年少のあの男は、胸の病で呆気なく死んでしまった。 「疲れたが?」  ため息をついた気配を察したのか、慎吾が呑気な声で尋ねた。 「ちっとでん眠いやんせ」  勧められて、有朋は少しためらった末、黙って慎吾の肩に頭を載せ、眼を閉じた。  あの冬の日の熱を、有朋は生涯忘れはしないだろう。向こう見ずで、傲慢で、型破りで、そして鮮烈で―――「若さ」そのもののような、一人の男の面影と共に。  若い頃の憧れの全てであったようなあの男のことを、現在の「恋人」であるこの男との間で平気に話題にするまでには、まだ、今少し時間が必要なようだった。慎吾が、有朋のその「憧憬」を知っているからには、なおのことである。
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