第3話

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第3話

 ルイスは布袋を片腕に、玄関扉の真鍮の金具を叩いた。いかめしい獅子の口輪が、音を響かせる。  ほどなく中から顔を出した亜麻色の髪の幼い少女は、訪問者がルイスと知るなり、今日も薄いそばかすの浮く鼻頭にわずか皺を寄せた。 「やぁ、ニナ嬢。まばゆい春の午後ですね」  ルイスが気にせずにこやかに挨拶をすれば、ニナは先ほど顕にした表情をなかったことと綺麗に消しさり、つんとすました顔になる。  主人とは違い普通の人であるという彼女は、ルイスのことをわかりやすく嫌っているらしい。  当初の訪問の目的も結果もばれているから仕方がないとはいえ、そろそろ打ち解けてくれてもいいのにとは思う。  いつも仏頂面の彼女は大変かわいげがなく、それでも敬愛する主人を一所懸命慕う姿は年長のルイスから見るといじましかった。  先導するニナに続きながら、ルイスは横からニナを覗き込む。 「ニナ嬢、お土産だよ。いいできでしょう」  断られるより早く、ルイスはニナの手に土産を握り込ませた。  今日ルイスが持ってきたのは、人差し指ほどの長さのガラス製の翅の簪だ。  薄く伸ばしたガラスでつくられた翅が、淡い虹色を内包している。  いかにも儚そうな透き通る翅の造りを、金の翅脈が美しく支えていた。  近頃、ルイスの元には商人や職人の方から売り込みの声がかかるようになっていた。  街中の店を手当たり次第まわりながら、これじゃない、これではだめだと吟味しているうちに、妙な尾ひれがついたらしい。  高貴な身分のとあるお方が、目利きの使用人を通し妖精の翅を主題(モチーフ)にした特別な品を収集していると大変な噂になっている。  ルイスの素性を知っている仲間内でも、早い段階で酒の肴になっていたくらいだ。  厳密に言えばルイスが探しているのはユーウェルの背に似合う翅であり、噂のものとは異なるが、一概に嘘とも言いきれない分、あえて否定してまわりもしなかった。  基準に満たない品は取り合わないことも、事の信憑性を増したようだ。  威信をかけて持ち込まれる品は、日を追うごと素人目に見ても芸術品と言って差し支えのないものばかりになってきた。  ニナに渡したガラスの翅も見本(サンプル)として貰ったものの一つだ。  手にしたガラスの簪を透かし、翅の出来映えを吟味するニナの目こそ本物で、ルイスのそれよりよほど厳しい。  かすかに寄せられた眉は、ユーウェルの翅の美しさには遠く及ばないと言っていた。  不本意ながら、ルイスも同調せざるをえない。 「せめて、この大きさでよければ話も変わってくるんだけどなぁ」  ガラスの翅の造形は今までで一番見事なできだ。細部まで職人の丁寧な拘りが窺える。材質に対し軽い点も高評価だ。  だが結局、あくまで簪であれば、の話だった。  これをユーウェルにあう大きさに仕立て、背に取り付けるとなると、どう考えても重すぎる。  ユーウェルの姿を視界に入れたニナの足が、速度を増した。  湖畔の木漏れ日で読書をしていたユーウェルが、ニナが手にしている翅に気づいて顔を綻ばせる。 「いい品だ。よかったね、ニナ」  おいで、と呼び招かれたニナがおとなしくユーウェルの手前に座る。  ニナの亜麻色の髪を指で掬い、編み込みをはじめたユーウェルの横顔は、つい最近、画商に勧められた絵画に描かれていた妖精みたいだった。  ニナの髪に差し込まれた紛い物の翅とは、やはり段違いに目を惹くユーウェルの翅に、ルイスは溜息をつく。 「美しかろ?」 「はいはいそうですねぇ」  こちらを見ず、いつものように戯れを嘯くユーウェルに、ルイスは内心げっそりした。  そのせいで、どの品も色褪せて見えるし、何かが足りない気がして、一向にユーウェルの要望にかなうものを決められない。  人の苦労も知らずのんきなことを言う、と納得のいかない気持ちになる。 「ご要望の揚げ菓子です」  しゃがみ込んだルイスは、不貞腐れたまま手にした布袋を置いた。 「毎回悪いね」 「持ってこいって毎度せっつくのはユーウェル様ですよね!?」  素知らぬ顔で袋の内を覗き込んだユーウェルが「よさそうだ」と機嫌よく呟く。  そして今回も「後でお食べ」とまるごとニナに袋を持たせたユーウェルに、ルイスは半眼した。  毎度毎度のことではあるが、こちらもまた納得のいかない気持ちにさせられる。 「妖精って何食べるんですか?」 「急にどうしたの」 「要求する割に一口も食べないままニナ嬢にあげちゃうじゃないですか。それもうまいって有名なんですけどねぇ?」  鬱屈した気持ちのまま、つい大人気ない嫌味がルイスの口をついた。  ユーウェルは菫色の目をまるくする。  隣のニナのひん曲がった口元には、あからさまな侮蔑が滲んでいた。 「この子にと思って頼んでいたのはあるけど」  むくれるニナを宥めるように、ユーウェルはニナの髪に挿した艶やかなガラスの翅を撫でた。  そうだねぇ、とユーウェルはひとりごちる。 「花の朝露を食べるって言ったらどうする?」 「……おいしくなさそうですね」 「おいしいよ。小腹は空くけど。だから夜露も時々つまむ」 「は? 冗談ですよ、ね?」 「重くなると飛べなくなって困るだろう?」  頬をひきつらせ聞き返したルイスに、ユーウェルはどちらとも取れない表情で淡く微笑んだ。  ルイスの追求をかわすように視線を上げたユーウェルの鼻先に緑陰が落ちる。  風に向かって菫色の目を眇めるその姿は、まばゆい空に焦がれているようだった。  傍にいるニナが、そっとユーウェルの手に小さな手を重ねる。  ユーウェルの澄んだ翅を通して見る空は、ひたすら高く、遠い。 「ああっ、もう。嫌になりますねぇ!」  ルイスは考えるのを放棄して、草上に仰向けに転がった。  頬を掠った春草が、気付かぬうちに艶を増していて、早くも初夏の気配を連れている。  このところのルイスは、いつになく忙しなく働いているというのに、物事が一向にうまく進まない。  ユーウェルの背にある翅に代わるものどころか、並んで遜色のない翅すら見つかるはずがなく、うまい話にのせられ彼女を訪ねたのは完全に間違いだったと日々思い知らされる。 「……ユーウェル様は、空が飛んでみたいんですか?」  ユーウェルは寝転がるルイスを意外そうに見下ろした。 「君は?」 「そうですね、一度くらいは飛んでみたいですかね?」  口の端で笑って、ルイスは組んだ腕に頭を預けた。  やわらかな青空に、白い雲が溶けていく。 「そのうち……きっとユーウェル様が生きているうちに、人は空を飛ぶようになりますよ。そうしたら、ユーウェル様も同じ方法を試したらいい」 「あぁ、そういえば。ずっと昔の芸術家がそんな道具を考えていたね。この前も、空飛ぶ船を試した者が出たようだし」 「そうなんですか」 「外国の話だけどね。確かに君の言う通り、近いうち人も空を飛ぶだろう。きっと君が生きているうちにも形になるよ」  楽しそうに笑声を零したユーウェルは、ルイスを真似るように腕を投げ出し草の上に寝転がった。  まるで子供みたいな仕草にルイスが瞠目した先で、ニナがルイスを詰る目で睨んでいた。 「空が近いね」  深く吸い込んだ息を、ユーウェルが心地よさそうに吐き出す。 「ルイス」 「なんです」 「もしかして慰めてくれていた?」 「……翅が曲がりますよ、そんなことしたら」 「君が思うよりこれは丈夫だから問題ない。だいたい私はこの体勢で毎日寝ている。うつ伏せだとどうも寝つきが悪くてね。寝癖がついた時は伸ばせばすむことだ」 「そういうものですか」 「水を吹きかけると皺もよく伸びる」 「そうなんですか!?」 「あははっ。ずっと思っていたけど、君って騙すより騙されることの方が多そうだね」 「……」  いったいどこから冗談だったんだ、とルイスが非難を向ければ、ユーウェルの視線はもうルイスから離れていた。 「飛べはしないけど、空に行くことはできるから心配しなくてもいいよ」 「それも冗談ですか?」 「こっちは本当。妖精の国への扉は空にある」  あの辺だ、とユーウェルが人差し指でぐるりと円を描く。  その仕草はどう考えても適当で、ルイスは呆れながら溜息をついた。 「どうやってあそこまで行くんです?」 「湖岸からは階段を登って」 「扉には取っ手もいりますね」 「ひとりでに開くから必要ない。開いた先はもう城の広間だよ」 「そりゃまたとんでもないことですね」 「たまに行くにはいいところだよ。私はこちらの方が性に合うけどね」  そうですか、とおざなりに相槌を打ったルイスの耳元をぶぶぶんと蜜蜂が飛んでいった。  梢を揺らす風が、湖から清涼な水の香を連れてくる。  明るい午後をたゆたう白雲はゆるやかで、気を抜くとこのまままどろみそうになる。 「見に来るといい」  思いつきのように誘われ、ルイスはユーウェルを仰ぎ見た。  ニナの手を借り身を起こしたユーウェルが、銀の髪に青い草切れをつけたまま、菫色の目に不敵な光を宿す。 「君が約束を果たしたら、空の扉を見せてあげよう」  伸びやかに晴れた青空を透かし、ユーウェルの翅はいっそう輝いて見えた。  銀糸の髪と、淡色の翅が散らす木漏れ日に、ルイスはついの間、目を細める。  そういうことがあったからだろう。  約束の期日まで残り半月近くとなり、日に日に気が急きはじめた頃、招かれた服飾店でルイスの目を引いたのは、午後の青空から切り出したような淡青のドレスだった。
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