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第5話
ユーウェルは菫色の目を瞬かせた。
「ドレス? 翅じゃなくて?」
「ドレスです。翅じゃなくて」
ルイスは、ユーウェルの疑問を慎重に肯定する。
「ユーウェル様が言ったじゃないですか。妖精は自分の翅が一番美しいと思っていて、ユーウェル様も自分の翅を気に入っているって。なら、あなたの求める特別な翅は、最初からあなたの翅以外にない」
ですが、とルイスは確信をもって宣言した。
「あのドレスは、あなたの翅をより引き立たせる。誰と並んでもあなたの翅がいっとう美しい特別なものになる」
押し黙ったユーウェルは、今度こそ嘘がないか吟味しているらしかった。
透明度の高い菫色の目で見定められると、そのことが手に取るようにわかって、いやに緊張が増す。
いつの間にかやって来ていたニナが、ユーウェルの後ろに寄り添ったのが目に入った。
ユーウェルが溜息をつく。
「わかった。私も行こう」
「大丈夫なんですか?」
「ニナ一人を君に預けられない」
人目を案じたルイスは、ユーウェルにぴしゃりと言われ、口をつぐんだ。
「ここに呼ぶ方が、いくらか差し障りがある。ニナ、朝食を食べてしまって。ルイス、ニナを連れていくつもりだったんなら、当然足は用意しているんだろうね?」
「もちろんです」
ルイスは勢い込んで応じた。
「なら頼んだよ」
言い置いたユーウェルがニナの背を押し、中に戻っていく。
玄関先に残されたルイスは、回れ右をし、テオの店に知らせを送るための人を捕まえるべく元来た道を戻った。
了承を得たことで、止まっていた歯車が勢いよく回りだした気がした。
とうとうここ二ヶ月半の悩みに終止符が打てそうで、急に視界が晴れ渡っていくような気分になる。
屋敷近くの花咲く公園で人を探しながら、ルイスは言いようのない高揚感に駆られた。
「だけど、まさか船で行くとは思わなかったねぇ、ニナ」
流れる街並みを横目に、ユーウェルが軽やかに言った。
ユーウェルの手をぎゅっと握ったニナが、迫りくる運河の水面を睨み、恐々とユーウェルに身を寄せている。
揃いのケープを纏った二人は、姿形は随分と異なるのに仲のよい姉妹みたいだった。
今はユーウェルの翅が見えないから、ニナを庇う彼女はなおさら普通の姉に見える。
ルイスは運河に櫂を入れ、ニナのためにいくらか勢いを落としてやった。
「ニナ嬢は船は初めてなんですか? 乗合馬車より快適かと思ったんですが」
「こんなに心許ない船は初めてなんだよ」
「ひどいですねぇ。祖父の代から使っている伝統的で格式高い船だっていうのに。多少手荒いのは認めますが、動かすのは子供の時以来なんで目を瞑ってください」
ルイスがボロ船であることを自ら認めると、ユーウェルはけたけたと笑い、ニナはいっそう青ざめた。
石造りの橋をくぐると街の中心部が目の前に広がった。
街で一番高い塔の鐘が時を告げる。屋敷で聞くよりも一際荘厳に響き渡る鐘の音に、ユーウェルがおどけながらニナの耳を塞ぐ。
河の支流から合流してきた運搬船は、ルイスの船と異なり帆に風を受けていた。
運搬船が残していった波に小船が揺れ、ニナがいっそうユーウェルにしがみつく。
水際に追いやられた水鳥たちが競いながら飛び立ち、高い位置にある岸辺を歩く人々が寸の間、鳥の羽ばたきに気を取られる。
通り雨が降ったらしく、家々の窓際を飾る花が降り注ぐ日差しに照り映えていた。
「残念でしたね。朝露じゃなくて」
「あぁ。だけど、あれも甘そうだ。もうすぐ露もつかなくなるし試してみるのも悪くない」
ルイスの皮肉に軽く応じ、ユーウェルは両岸の煉瓦造りの街並みを愉快そうに見送っている。
ルイスが店の裏手に船をつけると、知らせを聞いていた店主のテオがすでに待ち構えていた。
「なるほど。順当だね」
看板を目にしたユーウェルが講評を口にし船から飛び降りた。続いてルイスに手を借りたニナが震える足を地につけて、ようやく安堵の息をつく。
出迎えたテオは予想外の船の趣に驚きを浮かべていたが、それも降り立った貴人が誰であるのか気付くまでだった。
「殿下」
さっと畏まった態度を示したテオに、あらかじめ内密に応対してほしい旨を伝えていたはずのルイスの方がよほどうろたえた。
「ユーウェル様って、割と知られているもんなんです?」
耳打ちしたルイスに、ユーウェルが肩をすくめた。
ニナが不満そうに口を引き結んで、テオをはじめとした店員を睨む。
ユーウェルはニナを宥めるように手を引いた。
「昔から王都で有名な店だからね。貴族にも馴染みが多いだろうし、姿絵を見られる機会があったかな。にしても、ここにいることをどこから聞きつけたのだか」
ね、と首を傾けたユーウェルの目顔に、ニナが珍しく情けなく眉を下げている。
「まぁ、こちらの方がやりやすいか」
ユーウェルが口笛を吹くようにささやいた。
ぎょっとしたルイスがユーウェルに対し首を左右に振るも、考えを改める気はないらしい。
ルイスは心のうちでテオに謝りながら、両耳を塞いだ。
ユーウェルが軽やかに語りかける。
「君たちの店は昔から皆、口が硬いと聞いているよ。誰だかわかるのなら私の言うその意味は当然わかるだろう?」
「もちろんです」
テオは躊躇いなく答える。
菫色の目をたわめ、にっこりと笑ったユーウェルは、集った面々を見渡し告げた。
「では、いいかい。このことは、ゆめゆめ他言せぬように」
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