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第6話
ニナが淡青のドレスを見上げる。
焼き付けるように細部を確認していく横顔は、いっそ神聖ですらあった。
ニナの背後に控えながら、ルイスは落ち着かない気持ちで彼女の判断を待つ。
当のユーウェルは、この状況をおもしろがっているらしく、ドレスを前にしてほんのわずか菫色の目を眇めたものの、それ以上の反応は見せなかった。
完全にニナに預けることにしたらしい。
部屋の入口に陣取ったユーウェルは成り行きを見守りながら、時折、店主のテオ相手に何かを言いつけている。
切れ切れに聞こえる二人の声が妙に気になりはするが、ルイスは努めて気にしないことにした。
ここで転けたら、また一から選び直しだ。
「どうでしょう?」
ルイスは真剣な眼差しのニナに問う。
ニナから見ても問題なければ、仮縫い状態のドレスをユーウェルにあわせ本格的に仕上げてもらう予定となっている。
背を覆うように肩から足元へ裾を広げる淡青の薄布は、翅の位置に合わせ切り込みをいれてもらっていた。
テオにはこの仕様を頼むにあたり、主人の翅は背から生えた翅らしく見えるようコルセットの上部に取り付けた特注品だと伝えていた。
店主相手にひそひそ話をするその主人が何者であるのか、こんなにも知られているのなら、わざわざそんな作り話をする手間も必要なかったのに、とぶつくさ文句を並び立てたくなる。
ニナが背面の薄布を手に取ると、裾がゆるやかに波打った。
中心ひとつに襞を絞ってもらった分、そこから左右対称に広がる裾が以前にまして二枚の翅を思わせる。
翅に見えませんか、と聞きたくなる衝動をルイスが堪えた瞬間、ニナと目があった。
頑ななニナの口元に満足の色がかすかにひらめく。
「ユーウェル様!」
ルイスはぱっと顔を輝かせ、首を巡らせた。
あまりの勢いに驚いたユーウェルが、菫色の目をまるくし、ほころぶように苦笑する。
途端、仏頂面になったニナがルイスの腰を押した。テオ共々部屋の外に追い出される。
閉じられた扉を前にルイスは立ち尽くした。部屋の内では、あらかじめテオの指示を受けていたらしい従業員たちがいっせいに動き出す気配がする。
ようやく入室許可が降りた二時間後。
店主のテオが手ずから開いた扉の先には、淡青のドレスを身につけたユーウェルが窓の前に立っていた。
まだ仮縫い状態だと聞いているものの、ルイスにはこれでもほとんど完成しているように思える。
普段と違い、髪をまとめあげている分、ユーウェルの翅の様子がよく見えた。
他の妖精たちより小ぶりだという前翅も、ドレスのために添えられた大ぶりのリボン飾りのようだ。
翅のすぐ下から足元に広がるよう計算し寄せられた襞は、ルイスの想定した通り、長い後翅を彷彿させる。
窓から差し込む日差しが真珠色の刺繍を輝かせ、いっそう柔らかく浮かびあがる淡青色も、ユーウェルの肌色にあっていた。
「美しかろ?」
「そりゃあ、美しいですけど……」
ルイスから率直な感想が返ってきたことに、ユーウェルは「おや」と意外そうな顔をする。
顎に手を添えたルイスは、ユーウェルの周囲を注意深くまわった。
ドレスが明るい色味のせいか、嘯いたユーウェルの顔色も、いつもより健康的に見えはする。彼女にあわせ調整されたドレスは、ただの人型にかけられていた時よりも、よほど洗練されていた。
が。
「いや……これは無しですね」
ルイスは、渋い顔で呻いた。
どう考えても、ユーウェルの翅の色が沈んでいた。
淡く繊細な色をした、夜明けを迎える空のあの息を飲むような色が消えている。
ユーウェルが青空を背に佇んでいた時は、あれほど侵しがたい色調を宿していたのに、いざあの午後の空と同じ淡青色の布地に重ねると、ひどく翅の色があせ、影を落としたかのように薄ら暗い。
全体の出来栄えに気を取られていたのだろう。ルイスの意見を聞き、まわり込んだニナが翅を前にして固まった。
「あぁ、ほら。だめです」
ニナのこの反応は決定的だ。
どうしたものか、とルイスは頭を抱えしゃがみ込む。
「二人ともそんなに落ち込まなくてもいいよ。これもいいじゃないか。ちょうど妖精のドレスは性にあわないから、これを見つけてもらって助かった」
「でもこれじゃ、約束の品にはならないじゃないですか」
「でも君、用意したのはドレスであって、翅は私のこれがいいって言ったじゃないか」
「だから、その、あなたの翅の美しさを活かせないのなら何の意味もないですよね!? むしろ邪魔しているじゃないですか」
「ひらひらしていて、かわいいのに」
本当に気に入ってはいたのか、裾を掴んだユーウェルが不服そうに首を巡らせ翅のある背を覗き込む。
「気に入ったんなら結構ですけど」
ここまで来て、これはない。
見通しの甘さにうんざりしながら重い頭をもたげたルイスは、刹那、呆けて口を開けた。
ユーウェルが掴んだ長い裾が、動きに応じて空気をはらむ。
春光が差し込む屋敷の一室で、白いレースの肩掛けがユーウェルの背で同じようにふわりと膨らんでいた——確かに妖精姫を見たはじまりの日を、ルイスは鮮明に思い出した。
「テオさん! 昨日の翅用のレースをもう一度見せていただきたいのですが」
静観に徹していたテオが、ルイスの問いかけに困惑する。
「もちろん可能ですが……翅を新調するよりも、ドレスを変更した方がよろしいのでは? ルイスさんに伺っていた以上に見事な翅です」
「いえ、そうではなく。このドレスの背側に、もう一枚レース地を重ねてみたいんです。大柄じゃないほうがいい。できれば編み目の詰まった遠目にはシンプルなもので」
熱に浮かれたように話すルイスの説明を聞きながら、つと考えに沈んだテオは、すぐに廊下に控えていた従業員に二、三指示を出した。
まもなく用意された白色のレースの巻軸は、すべてルイスの要望にかなうものだった。
「どれがお好みですか?」
卓上に並べられたレースを前にして、ルイスはユーウェルとニナに確認を促す。
同じ仕草でレースに視線を落とした二人は、揃って木の葉柄のレースを指さした。
几帳面に配置された木の葉の図柄は、見方によっては四枚の花弁を持つ小花にも見える。
選んだレースの巻軸をさっと手にしたニナは、ユーウェルの翅の下に流れる裾に、広げたレース地を添えた。
白色のレースに、翅の色合いが木漏れ日のように光を落とし華やかに重なる。編み目越しに覗く淡青のドレス地が葉影となってその下で揺れる。
ルイスとニナは、顔を見合わせた。
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