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結局、貴女と過ごした日々は、僕の人生において春の夜の夢のようなものでした。それでも寝ては覚めを繰り返した季節の中で、僕は何度貴女の事を思い浮かべたでしょう?
もしもあの時に戻れるなら……最初で最期でも構わないから、ちゃんと目を見て、ちゃんと名前で貴女を呼んでみたかった。
僕は目を瞑る。
静かに、そして穏やかに。
──そうしたらきっと、貴女から迎えにきてくれるような気がするから。
「戻ったよ、兄さん……あれ?……兄さん?!」
騒がしい連中らの声に紛れて漂うのは、あの日嗅いだ覚えのある甘い香り。
「本っ当、素直じゃないんだから」
ふふっと笑った貴女が枕辺に来てくれた気がして、僕は満足げに「遅いですよぉ」と呟くと手を伸ばす。
座敷の上に転がる遺体の横にある洋菓子の香りに釣られるように、どこからか迷い込んだ蝶がひらひらと室内を漂う。
まるでそのシュークリームに残った、甘い執着に手招きされたかのように。
─fin─
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