最後の言葉、それとも…

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最後の言葉、それとも…

 搬送先の病院で兄や母と合流した。  この時、兄と会うのは3年ぶりだった。大体コロナ禍のせいである。(余談だが、今考えると兄は拙作『夜行鬼』の主人公・夜光に髪や顔付きがそっくりになった気がする。実は夜光は少しだけ兄をモデルにしている。)  先に担当医の説明を受けた兄と母によれば、父の血管は完全には破れてないらしく、謎の薄い皮一枚でどうにか奇跡的に保っている状態らしい。  だが、直ぐに人工血管を縫い付けるなどの処置をしなければ明日にでも死ぬそうだ。  そして手術の成功率は半々、元気に退院して元の生活に戻れる確率は1割らしい。  兄は少しも取り乱さず、それを穏やかな口調で話した。  今思えば、この時兄がどれだけ自分の気持ちを抑えていたのか計り知れない。   長男だからこのような一大事には、自分や母親の前で泣く事を許されない。最悪急な世代交代も待ち受けているかも知れない。 先に生まれただけで、色んな重圧を背負いながら、行動する事を強いられているのだ。  「ごめんね、そんな事しなくていいんだよ」と、言えたら良かった。  言う代わりに、私は取り乱さず落ち着いて「分かった」と伝えた。  医師側の会議が終わり、手術室に運び込まれる時間になった。  ストレッチャーに乗った父を看護師や先生が取り囲みながら運ぶ。  看護婦さんが私の目の前にやって来てこう告げた。声がとても優しかった。  「お兄さんから手術の確率は聞いたよね?  もうここで会えなくなるかも知れないの。  だから、お話しして伝えたい事を全部伝えてね。」  言われた通りにするしかなかった。  まず父が話す。  手術着を着て、手術の準備が出来ていた。  「◯◯と◯◯(両方とも父の親友)に伝えてくれ……。  皆んなに宜しくな。」  かつて無いほど穏やかな声だった。  「頑張ってよ……。」  兄が言う。  「困っちゃうから、ちゃんと戻ってきてよ……!」  母が涙ぐんで言う。  そして私の番。  最後の言葉と言われても、常に気を利かして用意なんてしてるものじゃない。 すっと出てくる訳が無い。  最後かもしれない?  だとして、こんな穏やかな顔で、急に死を覚悟せざるを得なくなったこの人に一体何を言えばいい?  家族に対しては本当に不器用で、それでも一家を必死に支えてくれたこの人に一体何を言えばいいんだ?  十分に親孝行も出来てないんだぞ?  なのに、最後なんて。  そんな事思いたくない。  伝えたい事だって、こんな場面ではなく普通の時に言いたかった事が数え切れない程ある。  そんな風に、短時間で悲しさよりも色んなものへの悔しさが募った。  私は辿々しく思い付いた事を呟き始めた。  「学校に……、行かせてくれてありがとう。」  一番感謝している事を言った時、これじゃ本当にこのまま終わってしまうように思えて駄目だと思った。  「コンテストに絵を出したんだ。  受賞して戻ってきた奴をきっと見せてあげるよ!」  私は父が元気で戻って来る前提で話を始めた。  父は死を悟ったような顔のままだ。  「絶対、帰って来るんだよ!」  私は目が覚めるように強く言った。  何度もそれを言った。  その他、元気を出させるために大分変な嘘や発言を並べた気がする。  これが大晦日にやってる某お笑い番組みたいに、絶対笑ってはいけないうんたらかんたらだったら、何人かが笑ってアウトからの尻叩きになったに違いない。  (あの時笑わなかった先生達、凄い。)  暫く喋って数分。  絶対そっちに逝かせまいと、見えない炎を燃やす私の気迫に、多分先生方が気を遣ってくれたのだと思う。  「じゃ、手術室のエレベーター降りた所まで一緒にいきましょうか。」  そう言ってくれた。  普通は駄目なんだと思う。  今思うと、最終的に後悔はないのだが、あの時の自分は一人だけ熱くなって結構残念な人だったなと思う。  そして先生達には貴重な時間を割いてもらって本当申し訳ないと思った。そして、体だけではなく、こういう気遣いもしてくれるのが改めて凄いと感じた。  私はずっと何か言い続けていた。  救急車に乗せてやれなかった奴が偉そうに言える事なんてない。  でも、少しでも父が恐怖を隠しているなら、何か安心させてやりたかった。  「大丈夫、大丈夫だから!」  何度も心配させないように少し笑顔を作って言ってやる。  「大丈夫!  ばあちゃんだって、体弱くて手術しても何度も戻って来たんだから!」  ちなみにこの「ばあちゃん」とは、私の夢に出てきた父方の祖母の事である。この日の次の日は彼女の三回忌でもあった。  夢の事を思い出して、何かの意味があると踏んで、敢えて話題に出したのだ。  家族が言っても駄目でも、自分の母親の話題なら何か響くかも知れないと思ったのである。  いよいよ言う事が尽きた。  エレベーター内の水色がかった照明が、虚無を感じさせた。  私は父の肩に触れた。  馴れ合いが苦手で、子供の頃以外は中々触らせてくれなかった肩。  まだちゃんと体温がある。  父は優しく言った。  「……もういい。」  「もう分かった、伝わったよ」と言う意味だったのか、「運命なんだ、仕方ないんだ」と言う諦めの意味だったのか分からない。  目と目が合った。  昼食の時は顔を合わせられなかったのに、しっかりと見るタイミングがよりにもよって今なのは皮肉だと思った。    黒く潤った瞳を見つめると、一瞬だけ見開いてくれた。  少し明るい表情になっていたように見えた。或いは自分達を安心させる為に笑顔を作ってくれたのかも知れない。  兎に角、そのしっかり深い黒い色が、何故だか生き残れると直感的に思わせてくれた。  看護婦さんが言う。  「最後に手を握ってあげて下さいね。」  まず兄が手を握る。  「後は頼んだぞ……。」  父が言葉を贈る。  次に母。  「皆んなの言う事聞いてしっかりやれな……。」  次に私。  「周りの事をよく聞いて、しっかりやれな……。」  父の手は冷たかった。  失血が酷かったせいだ。  私は手をしっかり握った。    「温まれ、温まれ!」と必死で念じて、何かのパワーを送るつもりでギュッと握った。  自分には不思議な力なんてない。  当たり前だが、ただの無力な人間だ。  でも、気休めでもなんでもいい。  もし手からパワーを送ったり、そういう不思議な力が実はもしあるなら、どうか届いてくれと、そう願った。  「じゃあ、そろそろ。」  看護婦さんが言った。  私はもう黙って見送った。  手術室の扉が閉じ、姿が見えなくなった。      もう私達に出来る事はない。  ただ、先生達を信じるしか無かった。
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