待合室で

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待合室で

 私達は専用の待合室で待機した。  既に夜6時ぐらいだったと思う。  何時間かかるか分からないと告げられていたが、知り合いに電話で「知り合いの大動脈解離の手術が8時間かかったよ」と言われたので大体その位だと踏んだ。  コンビニで食料を買い、部屋に籠る。  2つしかないソファを3人で譲り合う。  流石に明るい会話は出来なかった。  あーでもない、こーでもないと言い合ったり、不安や公開の話に、今はそんな話はやめようと言ったり、その繰り返しだった。  部屋に廊下の足音が近づく度、皆胃が痛くなって、心臓がドキドキして身構えた。  この先の事を考えたら不安だった。  退院できたとしても今までの生活に戻れるとも限らず、自分も生活スタイルを変えなければならなかったり、或いは好きな事を長期で中断しなければならないかも知れないなど、考えてはいけないと分かっていても自然とネガティブな想像ばかりが浮かんだ。  何よりもまず、手術後に合併症や障害などが出る可能性も捨て切れない。    そうならば、健康診断を勧めたりもっと親を労ってやれて無かった自分の咎であるなら、好きな事を取り上げられても仕方ないとまで考えた。  突発的な大きな危機に、何かの天罰を受けてるのではないかと思えた。    最近の自分は、周りの人に優しく出来ていただろうか?  意識しないと思考が変な方に進みそうだったので、中断した。    私は緊張で何度もトイレに行った。  その時、廊下で電話中の看護婦さんを見かけた。  「ああ、今日も帰れなくなちゃったから。先に◯◯してて〜。  うーん。そう。ごめんねー。」  多分、ご自分の家族への電話だろう。  察するに、勤務を終えて帰ろうとした所、私の父の緊急手術が入ったせいで、残業せざるを得なくなってしまったのだと思う。   それで改めて思った。  医療従事者の方にだって家族や大切な人がいる。  でも、救命の為にその大事な時間さえも犠牲に働いてくれているんだと。  世の中にはそれを仕事だから当たり前と言う人も一部いるが、そうだろうか?  毎日のように命を救う。  誰も緊急の病に倒れる日なんて分からない。  立て続けにそれが続く場合がある。  それでも気を抜かずに全力を尽くしてくれる。  命を救って貰うことは、本当に有り難い事だ。  それは当たり前の事なのだが、それでも改めて感謝すべき事なのだと身を持って感じた。  色んな人がそうまでして見ず知らずの自分達の為に頑張ってくれている。なのに、ネガティブな事ばかり考えていたら失礼だ。  そう思えたので、気持ちが前向きになるように、さっきよりも強く意識した。  その後、私は緊急病棟の医療従事者の方と何度もすれ違った。(多分トイレ休憩)  その度、頭を下げて「ありがとうございます」と呟いた。  今、自分ができる事はそれしか無かった。
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