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──「連れていく」のは、桜の役目だと思っている。春先に卒業によって学び舎を巣立つ少年少女の背を見送り、少し経てば新たな雛鳥が学び舎に足繁く通うさまを頭上で咲いながら祝福する。しあわせとあたたかさの象徴が春の桜の共通認識だろう。季節の並びの先に立って、みんなの背中を押す希望の象徴のような存在だ。
……僕はスマホを構えながら、そんな事を考える。
いやに感傷的になるのは桜のせいか。否、桜のせいだけにするには胸を刺す棘が大き過ぎるせいだ。
やがて一枚の写真を撮った僕は、小さく呟いた。
「……おまえは桜に置いて行かれたんだよな」
土を照らす日光の朗らかな香りが鼻腔をくすぐる。
優しい匂いとは裏腹に、きっとこの桜が根を張る地の中は冷たく静かなんだろう。四方に延ばした根は地面の養分を吸い上げて見事な花を咲かせるが、その美しさも地中に眠る人々を揺り起こす事はない。
だから僕は、桜が嫌いだった。
『ねえ、ねえ』
脳裏に柔らかな笑い声が蘇る。
『もし私が居なくなったら、その時は春に探して』
『きっとその頃には、私は──』
バチッ、と。頭の中で火花が爆ぜる音がした。
「──っ、」
……ここ数年彼女に関する記憶が少しずつ、少しずつ、春の陽に焼き切られていくのを感じる。彼女が居た頃には完成していたパズルのピースが、端からぼろぼろと欠けて、今では完成形には半分も届いていない。
彼女と最後に一緒に出掛けたのはいつだったか、彼女が最後に笑ったのはいつだったか、彼女の好きな音楽は何だったか、彼女の好きな食べ物は──
バチッ、バチッ、パチッ、バチッ、
「──っ、う、」
絶え間なく精神を苛む音に耐えられず頭を抱えて座り込む。声を上げそうになるのを唇を噛み締めて凌ぎ、頭上の桜を仰いだ。写真は撮ったから早く帰ろう、この場に長居する理由は他にないのだ。
心の中で幾度も唱え、立ち上がろうとした、
その時。
──ざあっ。
ひとつ。静かな静かな、優しい風が吹いた。
ぞく、っ。
「っ!」
頭の中の音が止んだと思えば、入れ替わりで全身を撫でる寒気に身体を掻き抱いた。怯えを孕んだ目で桜の木を見上げていると、情など帯びぬはずのただの植物が、確かに意志を持って「咲って」いた。
つれていかれる。
──何故か、なぜか。その七文字が脳髄に流し込まれた。思考を恐慌に浸すのに相応しいその生温い液体は、ひたひた、ひたひたと全身に染み込んでいく。
「……やめてくれ」
情けないほどに震えた声が口からまろび出た。
彼女の次に、僕を連れていこうとしているのか。
「やめてくれ、」
……ざあっ。
──足掻く僕を嗤う声が、咲う聲が、聞こえた気がした。
────
某日某所。
「……あれ?このメッセージ、相手が消えてる」
「え?ああ、本当じゃん。友達かなにか?」
「そのはず……なんだよな、名前が無くなってるから思い出せないけど……メッセージと桜の写真を送った後に居なくなったみたい」
「えー……なんか怖いな、それ。履歴消しときなよ」
「その方がいっか……にしてもこれ、誰だろう」
『やっと捕まえた』
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