たかが甘さが八神を殺す

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たかが甘さが八神を殺す

 人を殺すのに銃はいらない。現に八神 奏(やがみ かなで)は、たかが子どもの、無邪気な一言で殺された。 「――でも先生。アミドを組み込めばもっと早くできるのに」  今でも記憶に焼き付いている。桜が散りかけた季節だった。昼下がりのぬるい風が、通い慣れた部屋の窓から吹き込んでいた。当時小学生だった水無瀬 楽(みなせ がく)の、まだ丸みの残る指先が、ノートに綴られた化学式をするするとなぞる。その軌跡のひとつひとつさえ、鮮明に覚えている。 「ほらここ……向こうを抑えて、それから変換すれば……。ほらね! 十分の一の工程で済むでしょ。どうかな、先生!」    声変わりさえ迎えていない幼い声が、美しい理論を無駄なく紡ぐ。告げられると同時に、八神は彼我の才能の差を一瞬で理解した。指摘されるまで八神が思い至りすらしなかった領域で、目の前の男は息をするように遊ぶのだと、理解せざるを得なかった。  水無瀬の天真爛漫な声が八神の脳を揺らし、得意げな表情が真っすぐに八神に向けられる。穏やかだった時間と、八神が二十一年の人生で築き上げてきたすべてが、不可逆的に壊された瞬間だった。  そのとき感じた絶望と、焼け付くほどの嫉妬を、今でも八神は夢に見る。 「――八神先生? どうしたの」  瑞々しい桜色の爪先が、ぴたりと止まる。ノートに落ちていた水無瀬の視線が、八神の目を、今にも捉えようとして――。    幼い水無瀬と目が合う直前で、八神はぱっと目を覚ました。
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