たかが甘さが八神を殺す

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 フォークと呼ばれる人間が初めて見つかったのは、八神が子どものころの話だ。人肉を喰らう人間が頻出したことでニュースになった。当時流行っていた感染症の後遺症だという噂もあれば、遺伝子操作食品の影響だなんて馬鹿げたデマが流れたおぼえもある。  彼らは生まれつき味覚を持たないか、あるいはある時を境に味覚を失う。そして代わりに、特定の人間の体液にのみ味を感じるようになるのだという。要するにフォークとは、味覚異常を持った人間の一種だ。フォークによってケーキの体液に感じる味は違うらしいが、甘みと表現する患者が多いため、味覚異常を持つ患者はフォーク、フォークが味を感じる対象はケーキと、俗世間では面白がって呼ばれている。  フォークの数は多くない。ケーキの数もまた、限られる。大多数の人間にとっては関係のない話だ。だから面白がることができるのだろう。  水無瀬の好む苺の香りのシロップを加えて、八神は生地をマーブル模様に整えていく。味は分からずとも、料理の香りと感触は面白いと、生まれつき味覚を持たない水無瀬は言っていた。名前の通り、なんでも楽しむ才能に長けた男なのだ。    現代社会において、フォークは差別と偏見の対象だ。  味覚を持たない彼らにとって、世界で唯一食の快楽を与えてくれるケーキは、特別な存在だ。悲しいことに、フォークの中には、強い飢餓感に負けてケーキに襲いかかってしまう者が一定数存在する。もちろん、そうでない理性的なフォークが大多数だけれど、世間はいつだって、たった1%の『もしかしたら』を攻撃せずにはいられない。  もっとも、法整備の整った諸国とは違い、日本ではまだろくにケーキを守るための法律さえ整備されていないほどだ。正しい知識が広まらないのは、仕方のないことなのかもしれない。   (研究者(わたしたち)が『仕方がない』などと言ってしまったら、終わりだろうが)    自らを叱咤したそのとき、オーブンが軽やかな音を立てた。菓子が焼き上がったらしい。  ブラウンのほどよい焼き色がついたマフィンを手早く紙袋に入れて、八神は教え子と待ち合わせている駅へと向かった。
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