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9-2 悪意のある目・1
「ケーキ美味しかったねー! じゃあ日和、また明日ーっ」
「うん、また明日」
無事にケーキ屋で和やかなひと時を過ごせた女子高生三人組は仲良く店を出ると、そのまま解散の空気が流れた。
弥生は先に満足げな笑顔で帰路につく。
一方で残った日和と命は静かで、その背が消えるまでどちらも動かない。
しばらくして、最初に声をかけたのは命だった。
「日和さんは帰らないの?」
どきっ、と日和の心臓が強く鼓動する。
流石に今、休学中ではあるがクラスメイトの置野正也の家に住んでいる……とは言えず、日和は口籠る。
「え……あっ、か、帰るよ。櫨倉さんは家どこ?」
「僕? 安月大原」
なんたる偶然だろうか、と更に厭な汗が吹き出る。
だったら余計に今住んでいる場所を明かせない。
仕方なく、日和は半分嘘をついた。
「そう、なんだ。私は柳ヶ丘だから途中まで一緒だね……」
「あ、なら僕が家まで送りますよ?」
「えっ!? 別に、そこまでは悪いから、いいよ……」
「夜道になったら危ないでしょう? 僕なら大丈夫、護身術身につけてますから」
満面の笑みを向ける命に断りを入れられず、日和は観念して自宅へ帰ることにした。
まだ離れてから一週間足らずだが、足取りは重い。
まさかこんな形で一度帰ることになろうとは。
家の中はもう真っ新に何も無い。
引っ越した後私物や家財道具は完全に処理されたらしいが、命がいる手前帰らない訳にはいかない。
念の為だと言われ、ずっとポケットに住み着いている家の鍵がまさかこのタイミングで使われるとは。
師隼はこのことを見越したりなどしていたのだろうか?
そうして思考が巡る間にぴたりと、突然命の足が止まる。
夢中になっていた日和は命の様子にすぐ気付くことができず、2,3歩進んで振り返った。
「……櫨倉、さん? どうしたの?」
夕方の真っ赤な陽射しが二人を刺し、長い影がたった数秒の短い時間を余計に伸ばしている……気がする。
ただ背中からの陽射しで逆光になっているだけなのに、何となく櫨倉命の表情は怖い。
「日和さんってさ、いつも水鏡さんとよくいるよね。それに……高峰玲さんとも。……なんで? どんな関係?」
先ほど濁していた答えを再度聞かれ、突然の質問に日和の表情は固まる。
心の奥底で「この人はだめだ」と警告が鳴った。
しかし、答えなければならない。
日和は極力作った笑顔で口を開く。
「な、波音は友達だから……。兄さ……――玲、は……私の兄みたいな人で、幼なじみだから……だよ」
「本当に、友達なの? 貴女が水鏡さんを振り回してない? 高峰先輩は幼なじみなのに兄さんって呼んでるの? 兄弟じゃないのに、不思議ね。変だと思うよ」
日和は表情を動かさなかった。
こういう時、どんな表情を作れば良い? なんて答えたらいい? もしかして何かしてしまっただろうか? と、疑問が溢れて思考が埋まる。
その間にもどす黒い空気を纏わせる命は鞄から取り出した狐の面を半分顔に当て、にたりと笑った。
「……僕ね、こういう者。見覚えあるかな? キミを監視するよう言われたけど、不思議なんだよね。一般人であるキミをどうして術士様は守るの? 術士様はこの町に住む全員を守っているんだよ? どうしてキミが特別扱いされてるの?」
「……っ」
命の侮蔑混じりの視線と欠けた耳が強い印象を与え、日和は息を呑む。
確か初めて師隼の屋敷に行った時に狐の面をした人達が並んでいた。
命がそれと同じ面を持っている。
ああそうか、命は術士の関係者なのだ。
術士様と呼ぶ辺りでは部下、なのだろうか。
その口ぶりから自分が邪魔のように感じているのだと理解できる。
同時に何か蓋をされた気分になり、日和は全面的に自分が悪く、だから攻撃をされているのだと感じた。
今までに奇異な目で見られたことはあるが、直接言われたことはない。
そもそも聞こうとも思わなかったし、聞く気もなかった。
しかしこうして対峙して言われてしまえば、対策方法はがらりと変わる。
波音のように攻撃できる言葉も、玲のように自身を守る言葉も持ち合わせていない日和には、何も言えない。
「わ、私……そんなつもりじゃ……」
「違うの? じゃあ、どういうつもり? 術士様と仲良くなって、恋人にでもなってやろうって事? ……それとも、あの方々の邪魔をするつもりだった?」
「そんなこと、微塵も……!」
微塵も思ってない。
恋仲なんて理解ができないし、邪魔をするつもりもない。
…本当に?
私が妖に狙われているから、皆が守ってくれている。
それはとても有り難いことだと思う。
でも逆に、そのせいで皆の活動に更なる苦労をさせていたら?
私を守ることで、私から遠く離れた場所に現れた妖がその場で悪さをしてしまえば、その分助けに行く時間がかかってしまうのかもしれない。
つまりそれは、邪魔をしてしまっているって事になるのでは?
……何だかその方が納得できてしまう。
分かっていても、そうではないと信じていても、そのように思ってしまう。
腑に落ちてしまう。
(ああそっか……。私が居ることで、皆の邪魔をしてしまってるんだ……)
櫨倉命はそれを伝えるためにここにいるのか。
日和自身を責める声が聞こえる。
玲や波音、夏樹、竜牙には家の分も含めて世話になっている。
それが邪魔だなんて、耐えられなかった。
自分のせいで術士の皆がミスを犯してしまう可能性に、顔を背けられなかった。
(だったら、どうすればいい? どうすれば、邪魔じゃなくなる?)
日和は心の中で自問自答する。
するとすんなりと、心の奥底からその答えは返ってきた。
(――……だったら、離れれば良い)
……そうか、それなら皆の邪魔をしないで済むじゃないか。
無理に私を守る必要なんてない。
そうだ、昔は思っていたじゃないか。
自分は死ぬのを待つだけだと。
ただ守られ続けるだけなんて苦しいだけだ。
それならいっそ、死んでしまえば全て楽になるじゃないか。
父にも、祖父にも、会えるかもしれない…――。
「……そう、だね。ありがとう、櫨倉さん。……また明日」
日和の思考が明々と照らされた目の前の悪意に歪められて堕ちていく。
論と証拠が歪に当て嵌められて、一つの外れた答えを導き出した。
日和は覚束無い足取りで家に入っていく。
その表情は、玲しか知らない顔に戻っていた。
残った命は満足な顔で狐面をつけ、夕焼けの町に消えていく。
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