白冷電球

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 クーラーが壊れた。そのうえ修理業者が繁忙期で三日後にならないと来てくれないという。地獄と化したアパートの一室では、AとB、二人の男が熱風しか送らない団扇を扇いで、熱帯夜に悶ていた。  四畳半の狭い部屋で、照明は天井から吊るされた裸電球のみ。擦り切れて毛羽立った畳に、シミだらけの土壁や天井。家具も家電も年季を感じさせる中古品で、時代設定が昭和初期のような様相を呈しているが、畳の上に放り出されているAとBのスマホが、かろうじて現代日本であることを主張している。  そこへ、ガタガタと建付けの悪い戸を開けて、買い出しに行っていたCが帰ってきた。 「あっつい。マジ死ぬ。もう二度と行かねぇ」  そう言いながら、Cは袋をドサリと部屋の中央に置いた。顔は汗まみれだ。 「ご苦労ご苦労」 「公正なるババ抜きによる選別だぞ、そう文句を言うな」  畳の上に散乱していたトランプを端にやり、各々がオーダーしたアイスや飲み物を広げる。  するとその時、部屋の明かりが一瞬暗くなった。まるで、電球の下を大きな蛾でも通ったかのように、影が横切った。 「ん?」 「虫入っちゃったか」  部屋の窓は全開になっている。網戸は閉めていたが、これも古いのでところどころに穴が開いているのをガムテープで補修してある。それでもスキマは無数にあって、この時期は虫が入ってくるのも日常茶飯事だった。 「お、こりゃあいい」  Aは嬉しそうに指を鳴らす。 「君、連れてきたな」  AはCにそう言うが、何のことか分からないCは首を傾げた。 「袋にでも紛れてたかな」 「いやいや。虫じゃない。幽霊だよ」 「は?」  顔を見合わせるCとBをよそに、Aは立ち上がって電球に手をのばす。表面のガラスに触れると、ニヤリと唇を歪ませた。 「電球に紛れ込んだ。うちのじいさんから聞いたことがある。幽霊が電球に紛れ込むと、光が冷たくなるんだ。触ってみ」 「なーに言ってるんだお前。そんなわけあるか、あっ冷たい」  Bは言われるがままに電球に触れると、よほど心地いいのか、表面をスリスリ撫で始めた。 「うおおたまらん、気持ちいい~」 「あんま触りすぎるなよ。中の人がへそ曲げるからな。これで今夜は涼しく過ごせる」  Aの言葉通り、部屋の中はみるみる涼しくなっていく。これも、電球に紛れ込んだという幽霊が、白熱電球の光を冷たくしているからだ。 「おいおいおい、冗談じゃない」  これに異を唱えたのはCだ。 「何を普通に怖いことしてやがる。オレは嫌だぞ、早く追い出してくれよ」 「熱帯夜と幽霊、どっちがいい?」 「熱帯夜に決まってる。幽霊に冷やされるなんてまっぴらだ。オレは帰る」  ガタガタ震えながら、Cはさっさと部屋から出ていってしまった。 「フン、臆病なやつ」とBが言う。「映画だったらあいつ、真っ先に死ぬな」 「Cの行動はあながち間違いじゃないぜ。じいさんが言ってた。この光には長い時間あたりすぎないほうがいい。それに注意事項もいくつか言ってたな。まずは光に長時間当たらないことだろ、それから、お供物だ」 「なに?」 「相手は仏さんだ。お供えをしてご機嫌をとるんだよ。とりあえずこれでいいか」  Aは、Cが置いていった買い物袋から皆で食べるはずだった菓子類を取り出し、白熱電球――いや、今や冷気を放つようになった白冷電球の下に広げていく。  そうしていると、また影が走る。電球の中で虫が蠢くかのように、ぞろぞろと明かりの中を影が走った。 「喜んでるみたいだ」 「本当か? お前の言うことはよくわからないな。でも、ああ、こりゃあいい。涼しい。Cのやつ、無理せず涼んでいけばいいのに」 「怖がっているのもよくないんだ。心によくない影響が出るし、幽霊が調子に乗る。奴はいないほうがいい。その点、Bはやっぱり肝が据わっているな」 「だって、Aと違って見えないからな。見えないものを怖がる道理はない」  熱帯夜は快適になり、Bはすっかりくつろいでいる。  しかしAは、腕を組んでうつむき、畳をじっと見つめていた。 「どうした、難しい顔をして」 「うん……。じいさんから聞いてた話の、最後のひとつが思い出せなくてな」 「幽霊電球のか?」 「ああ。もうひとつ、注意事項があったと思うんだ」 「思い出せないってことは、たいしたことじゃないんじゃないか。ちゃんと供え物もしてあるしな。それと、光には長く当たらないほうがいいんだろ。夜も更けてきたし、一度消すか?」 「ああ。そうだな」  Bは立ち上がり、壁面のスイッチに指を押し込む。パチンッと乾いた音を立てて、フッと明かりが消えた。  そうすると、闇のほうがじっとりと温い。開けたままだった窓から入り込んでくる外気のほうが、温度が高いのだ。 「あ」と、Aが掠れた声を出した。「しまった」 「どうした?」 「最後の忠告を思い出した。しまった。そうか。どうしてこんな大事なことを」  呟くようにか細い声だった。Aは次第に呼吸を見出しているようだった。 「なんだ、まずいのか? 逃げたほうがいいか? おい、A……A?」  Aからの返答はない。闇に染まった部屋は本当に真っ暗で、彼がどこにいるのかは分からない。Bは、明かりが消える前に見ていた光景の残像だけを頼りに、Aがいた場所を探り当てる。  だが、Aはいない。 「おい、A? なんとか言えよ、おい……」  その時、Bは、耳のすぐ側で声を聞いた。  吐息がかかるくらいの距離で。その声は冷気をともなっていた。 「あっちへいこう」  翌日、日がすっかり昇った昼過ぎに。  蝉しぐれと焼けるような暑気をかき分けて、Cがアパートに戻ってきた。  恐る恐る部屋へ入ったCだが、そこにAとBの姿はなく、天井から吊り下げられた電球のガラス面は、まるで内側から溶けたかのように穴が空いていた。
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