最後は笑って、

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 これは泉の私物だろうか? 紗良はリュックにそれを仕舞い軽く頭を下げて、足早に廊下を進む。胸が高鳴る、鼓動の音が耳に届く。それは決して不快じゃなかった。むしろ心地いいと思えるドキドキが紗良の全身を包んでいく。 泉の笑った顔を見たことがあるのも、彼が好きな映画を知っているのも、この学校の中じゃきっと自分だけに違いない! 嬉しくて、勘違いしそうになってしまう。その晩、紗良は夜更かしをして映画を観た。でも、ストーリーは全く入ってこない。その代わりに頭を占めていたのは、あの時見せた泉の笑顔。それが脳に焼き付いていて、思い出すたびに体がじんわりと熱くなって、胸の鼓動は忙しなくなる。映画のエンドロールが流れたとき、紗良は自覚するように小さくため息をついた。  翌朝、早めの時間に登校すると、泉はもう語学準備室にいた。 「あぁ、もう観たんですか?」  内開きのドアを開けた紗良と目が合った時、挨拶なんかよりも先に泉がそう口を開く。語学準備室の中は暗くて、彼の表情はよく見えない。DVDを返しながら「面白かったです」と月並みな感想を言う。 「そう。なら良かったです」  紗良からDVDを受け取った泉は机の中に仕舞っていく。そこで、会話はピタリと終わってしまった。紗良は彼にもっと近づきたくて無理やり会話を引き延ばす。 「あの歌ってどんな意味なんですか? 先生が好きだって言っていた歌」 「簡単に言えば、聖母マリアを讃える歌です」  映画の事を思い出したのか、ほんの少しだけ泉の表情が柔らかくなった。その表情が、夕日に照らされる昨日の泉の姿が頭によぎる。紗良は、ほうっと熱のこもったため息をついた。そして、躊躇うことなく言い切った。 「好きです」  泉がわずかに首を傾げる。紗良は「この映画が好きなんだと勘違いされたら困る」と焦って、今度は少しだけ言葉を付け加えた。 「先生が、好きです」 *** 「あの泉先生だよ? 何回告っても無駄だって」 「分かってるよ! 分かってるけどさぁ……」  諦めることなんてできないもん。子どもみたいに頬を膨らませる紗良を見て、友達は呆れるように見つめていた。  あの時の紗良の告白は、成就することなくけんもほろろに突き放された。けれど、たった一度フラれたくらいで諦めたくない! 紗良はその日から、泉に会うたびに「好きです!」とまるで挨拶のように告白するようになっていた。授業の前後や廊下ですれ違う時も欠かさずに。毎日のように繰り返される告白劇、しばらくすればクラス中に紗良の想いが知れ渡った。しかし、それが実を結ぶことはない。告白するたびに、泉は断る。 「泉先生のどこがいいの? 確かに顔はいいし授業も分かりやすけど、あの泉先生だよ?」  紗良の友達は全く泉の魅力を理解していない。紗良にとってそれは好都合。 「内緒~」  そう言いながら、次の授業の準備をするために、生物の教科書を机の中から取り出す。泉の、あの笑みを知っているのは自分だけでいい。でも……好きという言葉を伝えるだけの今の状況に紗良は手詰まりを感じていた。 「どうしたら好きになってもらえるんだろう?」  小さく呟く、紗良の悩みは教室の賑やかな声にかき消されていく。聞き取れなかった友達は紗良に向かって「なんて?」と聞き返すけれど、紗良は「何でもない」と首を横に振った。  紗良は天井を見つめる。どうして好きになるのは簡単なのに、好きになってもらうのってこんなに難しいんだろう? 深くため息をついていた。次の授業が始まっても紗良はうわの空。紗良には大人っぽい魅力もないし、英語の成績もあまり良くない。共通の話題だってない。マイナスからのスタートなのに、そこからさらに逆走しているようにも思える。
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