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最後は笑って、
今日までに、何回も何十回も泉先生に告白してきた。けれど、これが最後の告白。
卒業式前日。紗良は強く意気込んで、語学準備室のドアをノックした。中から「どうぞ」という声が聞こえてきてから、紗良はそれを押し込むように開けていく。語学準備室の中は電気がついていなくて薄暗い。奥では、英語教師の泉が背を向けて座っていた。紗良はその背中に、迷うことなく一気に自分の気持ちをぶつける。
「好きでした!」
この一年、胸の中で育ててきた暖かくて大切な想い。しかし、泉にとって紗良の告白はもう耳にタコができるくらいに聞き飽きていたのか、彼は一瞬紗良に視線を向けるだけ。
今日も断られるに決まっている――紗良は下を向く。しかし、口を開いた泉の口から飛び出してきたのは、紗良にとっては想定外の言葉だった。
「『でした』っていう事は、もう過去形なんですか?」
紗良は彼の言葉の意味が分からなくて聞き返す。
「明日がまだ残っているじゃないですか、卒業式。今日でもう『いつものそれ』は最後なんですか?」
泉の声が、なんだかいつもよりも低いような気がする。てっきり断られると思い込んでいたから、思いがけない返事にさっきまでの勢いはどこへ行ったのか、紗良は少ししぼんでしまう。
明日は卒業式。教師である泉に会うことのできる最後のチャンス。けれど、紗良は今日で彼への想いを断ち切ると決めていた。決めていたのに、今になって悲しさがこみ上げてくる。目に涙が溜まり、それが落ちてしまわないように紗良は体に力を込める。
何度断られても、やっぱり「泉先生が好き」という気持ちはなくならない。フラれる悲しさよりも彼への想いが勝っていく。紗良が目を閉じた時、我慢していた涙が床に落ちていった。
紗良は、泉の事を好きになってからの日々を思い出していた。終わってしまう恋を慈しむように。
***
泉の事は「つまらない先生」だと思っていた。紗良が通う高校に赴任して来たばかりの時は、20代半ばと若くて、一重の目元が涼しげな塩顔のせいで女子生徒の間でとてもモテていた泉。でも、冗談どころか雑談のひとつもしない真面目すぎる性格のせいでその人気は徐々に陰っていく。泉に対して浮足立っていた紗良の同級生も萎えたようで、すぐに流行りのアイドルの話ばかりになる。
確かに紗良も、泉が来たばかりのころ、ちょっとは「かっこいいな」なんて思っていた。でも、まったく素の見えない話し方と彼が担当している科目である英語が苦手だったせいで他の子よりも先に興味を失くす。それが今ではこんなにも泉に夢中になるなんて、このころの紗良に話したらきっと信じないに違いない。
桜が散って葉が生い茂るようになると、紗良の高校では毎年合唱コンクールが行われる。紗良がぼんやりと外で揺れる葉っぱを見つめている間に、クラスでうたう歌が決まってしまった。
「え……これ、何て読むの?」
伴奏をすることになった友達から「紗良にお願いがあって」と楽譜を手渡された時、紗良はあんぐりと口を開ける。
「『Hail Holy Queen』だよ。紗良、そんな事で受験大丈夫なの?」
「たまたま読めなかっただけだし」
英語が大の苦手である紗良は、アルファベットが並ぶ楽譜から目を離す。
「それで、お願いってなあに?」
「あのね、紗良にソロでうたって欲しいなって」
「えー! これ、全部英語じゃん、無理だよ」
友達は「ラテン語も混じってるよ」と言うけれど、紗良にとっては英語だろうがラテン語だろうが関係ない。
「パートでもいいけどソロでうたった方が映えるんだよ~。紗良、歌うまいじゃん? だから、お願い! 読み方振っておくからさ、ね?」
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