離婚するしないジャンケン

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離婚するしないジャンケン

「僕らは離婚するしないをジャンケンで決めることになったんだ」  そんな話を彼女にしてた。妻より十は若い彼女の名は智恵理(チエリ)。サクランボみたいで可愛いその名を気に入っている。  浮気が決定的にバレたわけではないが、以前から女にだらしなかった僕に我慢の限界に達した妻は、その夜ついに爆発した。僕はとにかく謝りまくった。この世の謝罪文を掻き集めてそのすべてを参考にさせてもらった。ワイドショーで見た不倫の謝罪会見もフラッシュバックしたので、これ幸いと丸々使わせてもらったりもした。  二時間ばかり謝りつづけていたら、初めは許すつもりなんてなさそうだった妻に、諦めのベールを纏った妥協的ムードが感じられるようになった。僕は「ここだ!」と思い土下座した。居間の床におでこをごつんとぶつける勢いで頭を下げた。初めのほうに土下座してもダメだ。ここぞというタイミングで効果的にやらなくっちゃダメなんだ。  なのに妻は、「何やってんのよ」ぐらいにスルーして。僕が土下座してるのも床におでこをぶつけたことにも構わずに、このまま許すのも癪だからジャンケンで決めない? と言い出した。 「私が勝ったら離婚。あなたが勝ったら一旦保留、でどう?」  そういうことらしかった。僕は知っていた。妻は揺るぎない心の持ち主だった。  妻からすれば勝てば希望が叶うし、負けたとしても次に僕がやらかしたら即離婚だろう。でも僕にとってみれば勝てば離婚は免れるし、負ければまた謝るだけだ。二度目の土下座も辞さない覚悟でいた。この勝負やらない理由がないじゃないか。 「念のため言うけど。あなたが負けたら即離婚だから。もう、土下座なんて見たくもないわ」  そういうことらしかった。つまり僕は絶体絶命だった。至って冷静に見える妻の表情がそれを物語っていた。本気なんだ、たぶんずっと前から。 「でも、ジャンケンって退屈じゃない?」 「えっ?」 「人生でとても大事な決断をするのに、やり飽きてるジャンケンで決めるのも何だから、ここは特別ルールにしましょう」  妻は突然、離婚するしないジャンケンにおける特別ルールの説明をし始めた。  それは、既存の「グー」「チョキ」「パー」にもう一つの手を加えるというルールで、チョキに指一本を足して三本指を立てるのだという。その三本指は二本指の「チョキ」に勝ち(一本多いからという理由)、「グー」相手にはあいこになる(二本少ないという理由でパーのように勝ちにはならない)らしい。言ってることは分かるけど、僕の頭は混乱していた。 「さあ、勝負よ」  妻は意気揚々と手首をぐるぐる回してた。僕は何が何に勝って何が何に負けるのか頭がぐるぐる回ってた。妻は気にも止めず「ジャーンケーン」と声を張り上げた。普通のジャンケンなら悩みに悩んでどれを出すかを決めて、覚悟を持って挑んでいただろう。だけど、特別ルールのジャンケンに頭が混乱したままの僕は何も考えられずパーを出して、妻の三本指に負けた。  それで僕らは離婚したんだ。  後から考えたら三本指は無敵だった。どの手にもあいこはあっても負けることはないのだ。妻はそこまでして確実に僕と離婚したかったのだろうか。そこまでして頭をひねくり回さなくても、そういうことらしかった。  そのすべてを智恵理に話したわけじゃなく、笑える部分だけかいつまんで面白トークにアレンジして聞かせた。 「あれから、「さくら」という名が嫌いになったんだよ。どうしても思い出しちゃうからね」  これがアレンジを利かせたバージョンのオチというかシメだ。  あの日、僕が負けた三本指の手の本当の呼び名は「チェリ」だった。発案者である妻の名と三本指の韻と語呂の良さから、それを英語(Cherry blossom)にして短く縮めたのがチェリの由来。声高に「ジャーンケーン、チェリ!」と三本指を出す妻、いや元妻の姿は今でも忘れられない。悪い意味で。  かなり歳の差のある智恵理と、この先どうなるのかは分からない。  ただ今は、一先ず英語にせず「さくら」と機転を利かせシメた自分を誉めてやりたい。  目の前で複雑な表情で笑う智恵理。「私のことは嫌いでもAKB48のことは嫌いにならないでください」まるで彼女がそう言ってるみたいに、かつての前田敦子の言葉がだぶった。  僕は思う。嫌いになれたとして、忘れることなんてできるだろうか?  何度も何度も。舞い散る花びらの数よりも多くその名を呼んだことも。  春の象徴とおんなじ、妻のその名があんなに好きだったのに。  涙が一粒こぼれた。僕は智恵理に聞こえないくらいの声で、「いや、元妻か」とつぶやきごまかして。しばらく窓の外の雨を眺めた。
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