門出

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櫻子は、自分が弁当を忘れていることなど、気が付いていないほど緊張していた。 教壇では、山谷が、教師の威厳を見せるためか、威嚇するかのように生徒達へ朝の挨拶を行っている。 起立した女学生達は、折り目正しく、山谷へ挨拶を返した。 統制の取れた風景に、櫻子は、圧倒されていたが、その山谷から側へ来るよう声をかけられ、恐る恐る、教壇の脇に立つ。 「今日から、皆さんのお仲間になります。ご家庭の事情により入学が遅れ、編入という形をとりますが、皆さんと共に、良妻賢母を目指し、強いては、お国のために、家庭を立派に守る女性となるべく、共に学業に励む仲間です。仲良く勉学に励むように。それでは……皆へ挨拶を……」 山谷が、櫻子をちらりと見る。 あきらかに、儀礼的に仕方なく声をかけているのだと言いたげな冷たい視線に、櫻子は、更に緊張した。 しかし、その何倍もの視線が、今や、櫻子へ向けられている。 こちらは、興味津々といった、好奇心丸出しのもので、櫻子は体を強ばらせながらも、小さく息を吸うと、同級生になるであろう女学生達へ挨拶しようとしたその時……。 ドタドタと、誰かが、廊下を駆けて来る音がする。 ついで、櫻子!と、櫻子の名前を連呼する男の声が響き渡って来た。 「な、なんですか?!」 たちまち、山谷の眉が吊り上がり、何事が起こったのか確かめようと、不機嫌そうに教室の入り口へ向かった。 同時に、 「ここかっ!!」 と、金原の声がして、戸が開かれた。 「だ、旦那様?!」 突然現れた金原に、櫻子は、ただ驚き、一方、山谷は、更に眉を吊り上げ、騒がしいと金原へ注意するが、金原はお構いなしで、ズカズカ教室へ入りこんだ。 「櫻子!弁当を忘れていたぞ!!朝から裏方の仕事などやっているからだ!もう、明日からは、自分の支度だけに集中しろ!弁当も、昼になったら、仕出弁当を届けてやる。余計なことはしなくていい!」 金原は、捲し立てながら、手に持っている、包みを櫻子へ渡した。 櫻子も、そこで、初めて自分が忘れていたことに気が付いたようで、驚きと、恥ずかしから、俯いた。 「お前のことだ、弁当を忘れたことに気がついたら、今日の昼は、何も食べずに過ごすのだろう?それも、皆に、分からないよう、どこか、校舎の隅にでも行って時間を潰す……そんなで、授業に集中できるか!!」 折角、入学できたのだから、勉学に励めと金原は言いたいようではあるが、櫻子にとっては、金原に失態を晒してしまったことが一番恥ずかしかった。 そして、山谷から向けられている重圧感溢れる視線が、櫻子には、とても、耐えられるものではなく……。 「だ、旦那様……あ、あの、お教室ですから……」 金原をなだめるように呟いた。 当然のことながら、このやり取りを、同級生達は、じっと見つめ、クスクス笑いが起こっている。 「お静かに!」 山谷が、学業を学ぶ場としての、統一を取ろうと叫んだ。 「……ご用件は、お済みのようですが?ここは、女学生が学ぶ場所です」 男子がいる場所ではないと、山谷は、金原へ言いたいようで、棘のある言葉に相応しい、むすりとした表情を向けた。 その嫌みな態度に、金原も今の状況を悟ったようで、嫌らしいぐらいに口角を上げ、山谷へ微笑みかける。 「ああ、これは、申し訳ありません。授業の邪魔をしてしまいましたか。しかし、妻の一大事ですからね、夫としては、放っておけないでしょう?」 妻、夫、という発言に、教室は、ざわめきだった。 「皆さん!静かに!」 山谷が、苛立ちを堪えつつ、生徒達へ言い放つ。 「つまり、これは、家庭の事情から、先に入籍を済ませた私のれっきとした妻だ。皆さんとは、少し異なる立場だが、宜しく頼む」 誰に頼まれた訳でもなく、金原は、ざわつく学生たちへ声をかけるが、それは、更なる混乱となり、女学生特有の、弾けるような黄色い声が教室に沸き起こる。 「ああ、櫻子、挨拶は済んだのか?」 金原は、騒ぎが起こったのを楽しんでいるかのように、喋り続けた。 「早く、友達を作れ。そして、俺達の祝言に呼べばいい」 きゃぁー!と、教室は、色目きだち、当然、静かに!と、山谷が、連呼し、もはや、収集がつかなくなっている。 そんな、騒ぎを起こしつつ金原は、平然と、 「授業の邪魔をした」 などと、一言言うと、颯爽と教室を出ていくが、ふと、立ち止まり、 「櫻子。ちゃんと迎えにくるからな。帰りの足は、心配するな」 などと、櫻子に尽くす素振りを見せたのだった。 当然、教室は、蜂の巣をつついたような騒ぎになり、山谷の苛立ちは増した。
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