取り立て騒動

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紙面には、首をかしげ、少し伏し目がちに、微笑んでいる珠子の姿が載っていた。 長いまつげが目を引く──。 西洋風の、蔦がからまる東屋の周りを、小鳥が飛び交うという、不自然な背景画を背負うように、珠子は、ベルベットの長椅子(ソファー)に腰かけている。 艶のある長い髪は、三つ編みを輪にして大きなリボンで留め飾る、流行りの、マガレイトに結い上げ、モノクロ写真に映える為にだろう、斬新な幾何学模様の、少し大人びた着物を纏い、可愛らしさも忘れずと、小花柄がぎっしり刺繍された半衿を広めに見せている。 清楚な女学生というよりも、勝代の艶やかさを引き継いでいる感じも否めなかったが、巷で唄われている、ハイカラな姿そのものだった。 恐らく、この番付の為に写真館で撮影されたのだろう珠子の姿は、紙面では、絹問屋柳原商会ご令嬢、日本橋高等女学校、柳原珠子。と、大きく紹介されていた。 十数人の、予選通過者が、紙面を飾っているが、上位三名は、他の者よりも大きく写真が扱われており、二位の珠子は、上位と下位に挟まれながら、屋敷では見せたことのない、 奥ゆかしい姿を披露している。 そんな、華やかな紙面に、冨田が反応した。 「ほお、こりゃ、すごいねぇ。勝代、やっぱり、若いに越したこたぁない。どうだい?その()で、手を打たないか?日日新聞だろ?一等だろうが、特等だろうが、どうにでもできるぞ?」 新聞社にコネがあると言わんばかりの冨田に、勝代は、食ってかかった。 「何を言ってるんですか。この子は、まだ、女学生ですからね、若すぎますよ!」 きりりと、顔を引き締め、必死に珠子を守ろうとする勝代に、冨田は、被っている帽子を脱ぐと、ここは、蒸してならんと、パタパタ顔を仰ぎ、 「まったく、お前は、芸者時代から、勝ち気だったからなぁ。商家の御内儀(つま)に収まっても、健在か」 と、つまらなそうに言った。 勝代は、ふん、と、鼻を鳴らす。 その様子に、圭助は慌てて、冨田の機嫌をとろうと動く。 「ああ、かまどの火で、確かに、蒸しますなぁ。社長、続きは、客間で、一杯やりながら……」 「ワシは酒は飲まん。だが、料理のもてなしがあるようだし……」 口ごもり、冨田は、薄くなった頭を撫で、ちらりと、料理が盛り付けられている膳に目をやった。 「あの、お口に合いますかどうか……」 ご機嫌とりに必死なのは、圭助で、まさに、揉み手状態で話題を変えようとしている。 勝代も、圭助の様子にはっとすると、珠子に言った。 「珠子は、部屋へ行っていなさい。これから、お父様は、こちらの社長さんと、大切な商談があるのだからね」 言われていることに不満なようで、珠子は、口を尖らせ、自分の祝いが無いのはおかしいと、駄駄をこねた。 「はっはっは、お嬢ちゃん、可愛らしいねぇ。話が終わった後で、おじさんが、祝ってやるよ?」 舌なめずりの音が聞こえそうな、ににやつき顔で、冨田が言う。 「社長!」 たまらず、圭助が、声をあげ、勝代も、慌てて、そうだったわ!と、叫ぶ。 「櫻子さん?冨田社長のお帽子をお預りして!」 勝代が、新聞を折り畳みながら、櫻子を見た。 微笑んではいるが、その目は、細められ、櫻子の事を睨み付けているかのようだった。 ん?と、冨田が、不思議そうに、勝代の視線をたどり、櫻子の姿を確認した。 「は、はい」 自分は、社長の帽子を預かる役目だった。玄関先で、という話だったが、仕事は変わらないのだと、櫻子は立ち上がり、冨田へ近寄る。 「上の娘の、櫻子です。家の事を良く手伝ってくれて」 ほほほ、と、勝代は、軽やかに笑うが、その目は、櫻子へ早くしないかと催促をかけている。 もたもたしていると、後が面倒だと、櫻子も感じていた。とにかく、言いつけられていることを行わなければと、帽子を受けとる為に、冨田へ、そっと手を差し出しだす。 「いやいや、すまないねぇ」 冨田は、ポンと帽子を頭に乗せると、櫻子の手を取りしっかり握った。 「ありゃ、どうしたね?こんなに手が荒れて」 突然の事に、櫻子は、面食らうが、冨田は、お構い無しで、ぎゅっと櫻子の手を握り、自分の胸元へ引き寄せようとする。櫻子は、思わず抵抗し、身をよじらせるが、冨田の力からは逃げられず、吐く息が、顔にかかりそうなほど距離は縮まった。 「離し……て……」 顔を背け、冨田からかろうじて距離を取り、助けを求める櫻子へ、 「まったく、愛想のない子で。女中をまとめて、働いてくれるんですがねぇ、その勢いが災いしてか、婚期を迎えているのに、相手が、見つからずで……。ねえ、旦那様?社長にお願いするのは、どうかしら?」 勝代は、櫻子の事など気にする訳でもなく、淡々と、圭助へ言った。 「あ、ああ、そうだな。社長にお願いするのも、いいだろう」 圭助は、おどおどし、もはや、柳原家の家長の威厳など微塵も伺えない。 「ほお、誰もいないか、それは、困った話だなぁ」 冨田も、櫻子の手を握ったままで、離そうとしない。 「……素人も、たまには、良いねぇ」 言って、櫻子の首筋に顔を近づけると、何かを確かめるよう、くんと、匂いを嗅いだ。 ひっ、と、櫻子は、思わず声をあげた。 そんな、弱りきる櫻子の様子を見た、珠子が、笑いながら、一言……。 「あら、櫻子お義姉(ねえ)様、社長さんのお妾さんになるの?」 わかったような口を利く珠子へ、勝代が、これっと、注意をするが、別段驚く訳でもなく、圭助も、俯いて、黙っているだけだった。 はははは、と、冨田の豪快な笑いが、再び響き渡った。 「お妾さんか!参ったねぇ。さすがは、勝代の娘だけある。おませなお嬢さんだなぁ」 珠子の、からかいの言葉に、富田は、すかさず反応した。お蔭で櫻子は、解放されたのだが……。 「うーん、こりゃー、どちらも捨てがたい」 富田は、意味深に言い、スケベ心丸出しの、粘っこい笑みを浮かべている。 呆然と立ち尽くす櫻子は、恐怖と嫌悪に襲われていた。 自分に何が起こって、いや、起ころうとしているのか、珠子の言葉で、やっと、分かった。 首筋に、鼻を近づけて来た富田から、一瞬香った、整髪料(ポマード)と、煙草の匂い。そして、妾、という言葉が、頭の中で入り交じり、櫻子は、吐き気すら覚えていた。
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