門出

24/27
前へ
/138ページ
次へ
その頃……。 「お、おい、ちょっ、ちょっと、待ってくれ!マサ!」 「何、言ってるんです!龍の兄貴!築地は、もう、そこですぜっ!」 「わ、わかってるけどなあっ!」 龍は、もう限界だと、ふうふう息を切らしていた。 その先には、ヤスヨから受け取った櫻子の弁当包みを握る、龍が連れてきた若い衆──マサが、いる。 八代から、櫻子の通う女学校を教わり、二人して、弁当を届けているのだ。 「おめぇ、本当に走るのが早いなぁ……」 龍がごちた。 しかし、人足姿の若い男と、頬に傷のある、渡世人風の男の掛け合いは、往来の通行人の好奇の目を引くようで、絡まれてはと思ってか、皆、ちらりと目をやり、足早に通り過ぎて行く。 そんな周囲の様子に気がついた龍は、息を切らしながらも、マサへ近づくと、拳を降りおろした。 「龍の兄貴!何すんですかっ!」 マサが、龍に頭を殴られ文句を言った。 「あのなぁ、マサよ。往来走りながら、金原商店の奥様の一大事だなんだと、叫ぶのはよせっ!」 「ったって、弁当冷めちまうでしょうが!」 「……マサ。弁当は、冷めても、いや、むしろ、冷ますもんなんだ……」 マサの言葉にこりゃあ、駄目だと龍は、肩をすくめる。 「……というか、とにかくだ、往来で、叫ぶってことは、櫻子ちゃんの迷惑になるんだよっ!」 「へっ?!そりゃー、余計一大事じゃねぇですか!それに、立ち話なんぞしていたら、昼に間に合わなくなりますぜ!」 マサが駆け出そうとする。 「だからっ!昼までは、まだ時間あるだろっ!お天道様を見てみろよ!まだ、てっぺんに昇ってねぇだろうよ!」 何を言っても、どこかおかしな事を言うマサに、龍も、苛つき怒鳴りつけようとしたところ……。 「どうした、龍?」 と、聞き覚えのある声がした。 虎が引く人力車に、金原が乗っていた。 「おお!社長!ちょうどよかった!」 櫻子を送った金原と、偶然、かち合ったようで、怪訝な顔で、人力車から、龍とマサのやり取りを見ていた。 「……何を騒いでいる」 「これは!金原の社長さん!かくかくしかじかでっ!一大事なんですよ!」 マサも、金原に気がついたようで、ここぞとばかりに捲し立てた。 「……何を言ってるのか、さっぱりなんだが、龍、結局、なんなんだ?!」 一大事、一大事と、騒ぐマサを押さえつけながら、龍は、金原へ、事情を説明した。 「なっ!?何!!一大事じゃないかっ!!龍!!何故、早く言わない!」 人力車から、身を乗り出して、金原は興奮しきり、弁当を寄越せと、怒鳴り散らした。 マサが差し出す弁当を半ば奪うように受け取った金原は、虎へ、急げと言いつける。 虎も、合点!と、勢い付いて、ぐるりと廻って、人力車の方向を変えると、そのまま、全速力で駆け出した。 「はあ、虎のやつ、すげぇ、勢いだなぁ。まあ、俺らが行くよりも、社長の方が、櫻子ちゃんも喜ぶか」 これまた、一大事だ、どいてくれ!と叫びながら走り去っていく一行を、龍は、笑いながら見送っている。 「龍の兄貴?」 マサが、不思議そうに龍を伺った。 「いや、マサ、だからなぁ、わかんねぇかぁ?俺達の出番じゃねぇだろ?!」 「え?わかんねぇーなぁ。俺、必死で走ったんですよ?」 「いや、だから……まあ、それは、帰りながら話すとして。ほれ、行くぞ!」 来た道を戻る龍の後を、マサは、わかんねぇー、わかんねぇーと、呟きながら追って行った。
/138ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2184人が本棚に入れています
本棚に追加