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男爵──、つまり、華族のご令嬢と聞いた櫻子は、驚くと同時に、だから、何か違っていたのかと、納得していた。
「ああ、どうか、私の家のことは気にしないで。父は父、私は私。そして、ここは、女学校ですもの」
発する気品と凛とした、意思の強そうな雰囲気とは異なり、雅子は実に気さくな口調で櫻子に接している。
「私も、金原さんと同じ。編入生なのよ。でも、華族という手前、級長などやらされている。まあ、つまり、ひいきを受けているってことね」
雅子は鬱陶しげに言った。
遠慮なく物を言う性格が、災いし、前にいた女学校では、留年という形でいわば、厄介払いを受けそうになった。家名に傷がつくと、慌てた男爵である父親が、婚約を機会に退学すると、まとめあげ、とはいえ、女学校卒業という泊付けに拘った父親は、ここの校長へ大層な寄付を行い、編入させられたのだと、雅子は言う。
「華族といっても、新興、だから、我が家は、さほどたいした家柄ではないのよ。父親は、卒業という言葉に縛られているというか、女学校なんて、別に卒業しなくても、そもそも、婚約、結婚が、決まっているなら、どなたも退学するものなのに……」
笑っちゃうわ、と、雅子は他人事のように言うと、櫻子へそっと、耳打ちした。
「金原さんも、そうなんでしょ?寄付金のお陰で、ここにいる……」
触れられたくない、話だけに、櫻子は、言葉に詰まった。
「あら、ごめんなさい。悪気はなかったの。私ね、同じ立場の方が現れて、嬉しいの」
雅子はにこやかに笑った。
近くで見ると、その容姿は確かに、違う。華族のご令嬢と、納得できるほど、雅子には、華があった。
まさに、花のような笑顔を向けられ、櫻子は、どぎまぎした。同時に、やはり、編入というものは、不自然な事なのだろうと、実感した。雅子も、同じく寄付金を使って編入しているだけに、櫻子の事情が分かったのだろう。
「あら、また、私の失言。安心して、金原さん。ここは、新設だから、生徒集めにやっきになって、余所の女学校へ入れなかった方々も積極的に入学させているのよ。だから、負い目に思うことなんてなくてよ」
でね、と、雅子は、周りを気にしながら、それでも嬉しそうに囁いた。
「どうかしら?私達良いお友だちになれそうじゃなくて?旦那様が、仰った様に、私、金原さんのお式の招待客になれるかしら?」
雅子は、パチリと目配せした。
「あっ、でも、山谷先生はご招待しなくて、よろしいわ!」
焦りぎみに、追加された雅子の言葉に、櫻子は、思わず吹き出しそうになる。
一方的に、雅子に押されている櫻子だったが、不快感はなく、むしろ、楽しいと思えていた。
今まで、独りぼっちだった。友達という存在すら考えたことなどなかった。
金原と出会い、そして、金原のお陰で、ここにいる。寄付金を使ってという正規の入学ではないが、聞かされたこの学校の事情に、櫻子は、安堵した。雅子も、同じだと聞いたからかもしれない。
その時、開け放たれている窓から、すっと風が流れて来て、櫻子の頬をかすめて行く。
同時に、聞き覚えのある声も流れて来た。
「あら?」
雅子も気がついたようで、山谷に見つからないよう、二人して、外の様子を伺った。
「だから!何がいけない!妻を待っているだけだろうがっ!」
「そおっすよ!学校が終わったら、奥様を一番にお迎えするのが筋っす!!」
虎が引く人力車に乗った金原が、正門前で陣取っていた。
用務員が、邪魔だから退けてくれと必死になっているが、金原どころか、虎まで引かないでいる。
そんな、おかしな小競り合いに、
「素敵な旦那様ね」
と、雅子が目を細める。
櫻子は、恥ずかしさから、つい、空を見上げた。
雲ひとつない青空が広がっている。それは、どこか見覚えのあるものだった。
──碧い……。
金原の瞳と同じ色だと気付いたとたん、櫻子の頬は自然に染まった。
──ねえ、櫻子。辛いことがあっても、耐えなさいね。この桜の木のように。枯れかけた苗木にも、きっと、救いの手がさしのべられる。そして、美しい花を咲かせる事ができるのだから──
櫻子の脳裏に、亡き母の言葉がよみがえってくる。
(……お母様、櫻子も、やっと花を咲かせることができそうです……。まだまだ、つぼみかもしれませんが……)
「金原さん!よそ見をしている場合ですか!」
山谷からの注意が飛んできて、櫻子は、今、に引き戻される。
申し訳ございませんと、そつなく答える櫻子へ、隣の雅子が、やられたわねと、こっそり言う。
そして、互いに顔を見合せると、山谷に見つからないよう、クスクス笑い合った。
(了)
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