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冨田に責められた圭助は、廊下に転がったまま、黙りこむ。
「柳原さん!掛の支払いなら、師走払いと決まってるだろう?!こんな、えたいのしれない借金の取り立てが、屋敷にまで押し掛けて来るとは、どういうことだ!」
勝代!と、富田は、怒鳴り、何を隠しているのかと、今度は勝代へ詰め寄った。
「あ、ですからね、商売をもう少し広げようと……」
男に抗った時に掴まれたのか、勝代は、相変わらず手首を擦りながら、冨田の剣幕をなだめにかかるが、その口は重い。
「それなら、銀行から融資が受けられるんじゃないのかっ!いったい、どうゆうことだ!」
冨田の剣幕に、勝代も黙りこむ。
「おやおや、そちらの旦那は、えらくご立腹だ。柳原さん、あんた、いったい、どんな手を使おうとしたんです?まっ、こっちは、関係のない話で。そんじゃ、金の用意は、できていない、期日が来ても払えないって、ことで、遠慮なく、頂戴していきますよ」
取り立ての男が、そらぞらしく、口を挟み、櫻子を、引っ張った。
手を引かれた櫻子は、持っていた紅茶葉入りのブリキ缶を落としてしまう。
床に落ちた缶は、カランカランと音をたて、ふたは開いて、茶葉が散乱した。
あーあーと、男は、肩をすくめると、混乱しきった皆の前を、平然と櫻子を引っ張り歩み出した。
うっかり、落としてしまった缶に気を取られしまった櫻子は、男に従ってしまっていた。
「ちょ、ちょいと!」
「だ、旦那様!」
櫻子が連れ去られるさまに、キクとヤスヨが、それぞれ叫ぶ。
その叫びに、圭助でもなく、勝代でもなく、冨田が反応した。
「おい!待て!こっちは、手付け金を払ってるんだ!その娘は、ワシのもんだ!」
冨田の一言に、
「ちょ!ちょっと!旦那様!あんた、娘を売ったんですか!!」
ヤスヨが、驚き、圭助を責め立てた。
「ああ、何てこった」
立ち上がろうとしていたキクも、驚きから力が抜けたのか、再び床へ座り込む。
「な、なんだい!仕方ないだろっ!屋敷の代金に色を付けてもらうために……、家の為なんだよ!ちいとばかし、我慢すればいいだけの話だろっ!」
勝代が、非難から逃れたい一心で、金切り声をあげているが、肝心の圭助は、黙ったままだった。
女達の言葉に、櫻子は、いきなり崖下へ突き落とされたような衝撃を受ける。しかし、堪えたのは、父、圭助が、だんまりを通しているということ。
父親の沈黙は、櫻子の心を、打ち砕くものだった。
「あー、まったく!うるさくて、かなわねぇ。あとは、あんたらで、やってくれ!」
男は、大きく踏み出した。そして、櫻子の体も、大きく揺れた。
「……い、痛っ」
「おっと、引っ張りすぎたかい。こりゃー、すまねぇ」
男は、櫻子に詫びつつ、
「ほら、あんたらが、大人しくしねぇからだろ?これ以上、この娘を痛がらせたくなけりゃー、だまってろ!」
と、皆を威嚇した。
「勝代!話しが違うぞ!」
冨田が、勝代を怒鳴りつける。
「社長!それは、こちらの台詞。期日は明日なんですよ!なのに!」
「明日もなにもあるかっ!お前が、娘は、女中としても使えると言ったから、ワシは、引き受けたんだぞ!こんな、増築で広がりきった屋敷など、誰が住む!更地にするにも、かなりの金がかかるっ!」
「へぇ、旦那、娘込みで、手を打ってたんですか。いや、娘が、目的だったのか」
はあー、色ボケかと、男は、へらへらしながら、冨田を見る。
「うるさいぞっ!お、お前!いったい、どこのもんだ!」
侮辱するのかと、怒る冨田の息はすっかりあがって、怒鳴り続けた為か、声はかすれていた。
「あー、こりゃー、すみませんねぇ。申し遅れました。手前、金原商店の者です。期日は明日と、お忘れでないか、確かめに来たところ、なんですか、どうも、明日には、間に合いそうもないご様子で……」
男は、ニヤリと意味深に笑った。
憤っていた冨田は、瞬間、黙りこむ。
それは、冨田だけでなく、ヤスヨとキクも同様だった。
二人とも、なんとも言えぬ、渋い顔をして、黙りこくった。
「はいはい、そうそう、今の様に、静かにしてもらえると、助かりますがね」
嫌みったらしく男は言うと、御免なさいよと、片手で手刀を切り、その場を立ち去ろうとした。もちろん、櫻子を連れて。
「お母様……」
珠子が、心許無げに呟いて、何が起こっているのか知りたがる。だが、勝代は口を閉ざしたままだった。冨田からの視線を、ひたすら避けながら。
「なんてことだ、柳原さん、ワシは、手を引かせてもらうよ。あんた、まさか、あの金原商店から、金を借りてたとは。それじゃー、いくら、屋敷があっても、足りゃーしないぞ」
言われて、圭助は更に黙りこみ、床から立ち上がる訳でもなく、ただ、戦慄いている。
櫻子にも、何が起こっているのが分からなかった。皆、急に怯えきり、大人しくなった。
確かに、男の勢いといい、気迫は、怯えるに十分なものだが、金原商店と、屋号を聞いたとたん、様子が変わったように思えた。
そんな、皆が怯えるような所の者に、連れられて行かれる自分はどうるのだろう。
一抹の不安どころか、櫻子の足も震え、前へ進むことなど、とうていできない。
しかし、男の力には逆らえず、体は引きずられていく。
「お、お父様!!」
出せる力を振り絞り、櫻子は自身の恐怖を訴えた。
が、頼れるはずの父、圭助は、俯き、震えているだけで、櫻子の叫びに応えることはない。
「まあ、気持ちは分からなくもねぇがなぁ、あんた、こき使われていたんだろ?心配しなさんな、今より、もっと、いいところへ、連れてってやるから」
男が、櫻子へ言う。
落ち着かせる為なのか、なんなのか。何故そんなことを言うのだろうと、思わず男を見上げた櫻子だったが、聞こえて来た、冨田の愚痴りにぞっとする。
「はっ、女衒の常套句か」
つまり──。
自分は、父親に、売られたのだ。
認めたくない事実に、櫻子は打ちのめされた。
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