形がわりの花嫁

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あそこだと、龍に促され、櫻子は窓から外を見た。 辺り一面、桑畑が広がっている。 その中を、かいぐくる様に備わる道は、雑木の枝を用いた柴垣で囲まれた、上品な造りの家へ向かって伸びていた。 「……千駄ヶ谷村の原宿だ。桑畑に、田んぼだらけだが、ちゃんと、鉄道も通っている。そもそも、出かける時は、人力車だから、不便はねえょ。まあ、寂しげだがな、逆に静かで良いとこだぜ?」 龍は、櫻子へ、新しい暮らしについて語ろうとする。だが、櫻子には、何も聞こえていなかった。 郊外に、ひっそり建っている屋敷に住まわされるということは、人目についてはならない立場の人間ということ。 そして、奥様と、呼ばれようが、それは……。やっぱり、妾、として、引き渡されるのだろう。 舗装されていない、でこぼこ道のせいで、車は、ガタガタ揺れていた。 その揺れは、櫻子が抱いた思いを、さらに大きく膨らませていく。 世間から、離れて暮らさなければならない生活とは、いったい、どのようなものなのだろう。夫、いや、世話になる社長からは、どうゆう仕打ちを受けるのだろう。 柳原の家で暴れた龍の姿が思いおこされた。 手首を捕まれて、連れてこられたのだ。それ相応の事が待っているに違いない。 櫻子は、そっと、窓から顔を背けた。 受け入れたくない暮らしに、静か、も、良いところ、も、ないだろうに。そんな所、見なくても良いだろうに。 とうとう、来てしまったのだという恐ろしさから、櫻子の体は、座席に埋もれてしまいそうなほど、ぎゅっと縮こまる。 「ありゃー、ご立腹かねぇ。(きよし)、じゃなかった社長さんは」 龍は、窓を開け、外へ向かって叫んだ。 たちまち、運転手に、危ないから止めてくれと、小言を食らうが、 「あんたは、帰ればいいけどよ、こっちは、社長のご機嫌取りが待ってん出ぜ?車が、ノロノロ走るから遅くなったって、ことでいいんだな?」 凄みを効かせて龍は、運転手に嫌みを言った。たちまち、ひゃっ、と、小さな声が上がる。 「か、勘弁してくださいよ。鬼キヨに、睨まれたら、こっちは、首になるどころか、行き場まで、なくなりますって!」 「だろ?相手は、天下の鬼キヨだからなぁー。早いとこ、ご機嫌取りの言葉をかけとかなきゃー、まあ、後が面倒なんだよ」 へい、左様で、と、運転手は龍の言い分に頷きながら、速めますよと、車の速度を上げた。 一気に、ガタガタと車は揺れ、龍は、窓枠に頭をぶつける始末。櫻子は、座席から滑り落ちそうになっていた。 それでも、龍は、社長!と、叫んでいる。 運転手と龍のやり取りを聞いた櫻子の気持ちは、沈みきっていた。 金原商店の社長は、きっと、どころか、完全に気難しい人物に違いない。そして、ちらりと耳に入ってきた、鬼キヨという言葉。確か、冨田も、鬼がどうのと言っていた。 自分は鬼の元へ行かなければならないのか。 世間から、鬼と呼ばれるぐらいだ。静かに暮らせるはずはない。気を使い続け、挙げ句、気に入らないと、折檻されるかもしれない。 鬼、ならば、それくらい行ってもおかしくないだろう。 龍が、弾けているのが、櫻子には、逆に恐ろしく思えた。 そんなにも、機嫌を取らねばならない人物なのかと。 「お?大丈夫か?顔色悪いぜ?あー、車に酔ったか!揺れたからなぁ」 静かすぎると、気になったのか、龍は、櫻子を伺っているが、何か、見当違いの事を言っている。 「つ、着きました!到着です!」 運転手が、怯えた声をあげながら、車を止めた。 と、同時に、 「龍!お前、何を叫んでいる!うるさいぞ!」 龍へ向かって、外から激が飛んで来た。 「いや、社長が、ずいぶんと、お待ちかねのようでしたからねぇ。お連れしましたよと、お知らせした次第で……」 くくく、と、肩を揺らし、龍は、笑っている。 運転手が、仕事を終えたいとばかに、さっと、ドアを開けた。 車内に、郊外だからか、街中よりも冷えた空気が流れ込んで来る。 続いて、龍に激を飛ばした声が、櫻子にも降りかかって来た。 「何をしている。早く降りろ」 洋装姿の青年が、車の中を覗きこんでいた。 「聞こえないのか」 もちろん聞こえている。だが、櫻子は、返事ができないでいた。 声をかけてくる青年は、何者なのか。 いや、なにより、その風貌に、驚いていた。 色白の肌、鼻筋の通った顔立ちの中で光る、どこか冷えた視線を櫻子へ向ける瞳が、どうした事か、異国人のように、(あお)い。 「金原だ。よく来たな」 「……えっ……」 「えっ、じゃないだろ!さっさと、降りないか!」 攻め立てるように、青年は、怒鳴った。 そこへ、すかさず龍が、 「いやー、色々ありやして、奥様は、裸足なんですよー。このままじゃ、降りられませんやねぇ。社長?」 どこかとぼけて言った。 「は、裸足?!なぜ!!」 ですからねー、と、龍は、変わらず、とぼけているが、櫻子は、分からない事だらけで、目が回りかけていた。 怒鳴っているのは、自分とそう(とし)も変わらない、二十歳(はたち)そこそこに見える青年で、しかも、目の色が異なる異国人のような顔立ちをし、年上である龍が、社長、とおべっかを使っている。 さらに、青年自らが、言った。 金原だ、と──。 では、前にいる人物が……。 櫻子は、何事が起こっているのか訳がわからず、驚くだけだった。
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