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お浜に手を引かれ、櫻子は、屋敷の奥へと進んで行く。何度か、廊下を曲がった所で、お浜が止まった。
「ここは、キヨシの部屋。といっても、内輪で仕事の話をするぐらいなんだけど」
硝子戸越しに、机らしきものが見えた。やはり、中は西洋式のようで、部屋といっても、殺風景な感じがした。
ただ、廊下に沿って並ぶ部屋は、すべて襖であるのに、この部屋だけは、入り口が硝子戸という、おかしな具合だった。
すかさず、お浜が言う。
「もともと、ここは屋敷の裏方に当たる部分だから、板戸だったんだけどね、キヨシが、誰かがやって来てもすぐ分かるようにって、硝子戸に、はめ変えたんだよ」
硝子なら、内側から廊下の様子が伺える。戸口で立ち聞きされても、相手の姿が見える。そういうことなのだろうと、櫻子は、理解した。
お浜は、金原の事になると、どこか口が重い。
(言えない事は、無理に言わなくても……。)
櫻子も、一応は商う家の出、内々、やら、今の所、やら、摘めない話もあると言うのは、重々承知している。
とはいえ、お浜に面と向かっては言えない。生意気な事をと、逆鱗に触れる事はしたくなかった。
「で、こちらのはす向かいが、奥様の部屋」
お浜は、金原の部屋の斜め向かい、板戸の部屋を指差した。
部屋は、部屋なのだが、どう見ても、納戸のような、物置にしか
見えない場所だった。そんな、古びた感じが抜ぐえない所が、櫻子の部屋だと、お浜は、言ってくれている。
そして、金原が籠るであろう場所から、いや、例の硝子戸からは、納戸のような部屋の入り口に備わる古びた板戸が、丸見えだった。
つまり、部屋は。
櫻子の背筋は凍りつく。
気の良さそうなお浜の様子に、流され続けていたが、やっぱりだ。
ここは、鬼が、支配している屋敷。
櫻子の部屋は、部屋という呼び名の、座敷牢。常に、金原の監視の目がある場所なのだ。
「あっ、ごめんなさいよ。こちらも、急だったもんで、見映えが、わるいよねぇ。そう、ここはね、納戸だったんだよ。ああ、でも、ちゃんと、寝起き出来るように整えてるからね、安心しておくれ」
よいしょっと、掛け声をかけながら、立て付けが悪いんだよ、もう、などと、お浜は、ぶつぶつ言いつつ、力任せに入り口の板戸を開けようとしている。
きっと、これは、立て付けが悪いままにして、櫻子が、すんなり出入り出来ないよう、仮に、部屋から出たとして、斜め向かいにいる、金原が、すぐに気がつくようにしているのだろう。
板戸一枚の立て付けを直す事ぐらい、すぐにできるはずなのだから。
それを、放置しているということは、櫻子を簡単に出入りさせないために……、いや、それならば、外から、錠前でもかければ良いはず。
櫻子の頭の中では、嫌な思いが、ぐるぐる回っていた。
「さあさあ、奥様、どうぞ、どうぞ」
ガタガタ板戸を揺らし、入り口を開けたお浜は、櫻子を閉じ込めようとしてか、部屋へ入れと、機嫌良く言っている。
やっぱり、自分は、差し押さえられた、モノだったのだ。と、櫻子が、観念したその時、パンと、何かが、破裂する音がした。
続けて、ひゃあーー!と、男達の叫び声が流れて来る。
お浜が言ったように、櫻子のいる場所、用意された部屋は、屋敷の奥の奥。途切れ途切れにしか、物音は聞こえないが、そう、龍が、何者かと争っていたはずで……。
「あーー、キヨシ、やっちまったか。簡単に発砲すんなって、皆で、言っているのに、全く」
発砲──。
それは、つまり。
「……お、お、お浜さん!!!」
発砲といえば、銃、しかない。
なんで、そんなものが。
櫻子の気は、動転した。そこへ、また、パンと、破裂音が響いて来る。
「お、お、お浜さんっ!!!!」
櫻子は、あまりのことに、思わず、廊下にへたりこんだ。
「龍!そいつら簀巻きにして、大川へ放り込めっ!」
「いやいや、清、じゃなかった、社長。賭場じゃねぇんですから、簀巻きって。それに、ここから、大川ってねぇ、どんだけ距離があると思ってんですかい?こいつら、どうやって、運ぶんです」
「うるせぇ!!龍!俺に逆らうのかっ!!」
パン、パンと、立て続けに、音がして、う、うわあーー!と、断末魔のような男達のダミ声が続いた。
この騒ぎに、けっ、と、吐き捨てながら、お浜が顔を歪める。
「まーた、ご近所から白い目で見られるだろうがっ、少しは、考えろってっ」
などと、愚痴りつつも、
「すまないねぇ、でも、片付いたようだから……」
と、櫻子を気遣うが、
「い、いやぁぁーー!!」
腰を抜かし、叫んでいる櫻子の姿を目の当たりにし、
「う、うそ!ちょいと!奥様!しっかりしておくれよ!キヨシーー!!キヨシーー!!奥様がっーー!!」
などと、櫻子が、一番会いたくない人物の名前を叫んでくれた。
しばらくの間の後、ドタドタと廊下を駆ける音がした。
「あー!キヨシ!あんたが、余計な事するからぁ!!」
現れた、肩で息をする金原へ、お浜は噛みついた。
櫻子の様子に、金原は、悟ったかの様に目を細めると、やおら、しゃがみこんで、櫻子をまた、持ち上げた。
「あれ、まっ?!」
驚くお浜を、遅れてやって来た龍が小突く。
「……なんだ?」
立ちすくす、お浜を、金原は、ちらりと流し見ると、櫻子を抱き上げたまま部屋へ入った。
「……お前の部屋だ。見てみろ」
金原は、腕の中の櫻子へ、静かに言った。
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