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淡い象牙色に、紫と深緑の、縦縞模様の着物、それへ、黒の帯を合わせている。帯は、良く見ると、所々に銀糸が織り混まれており、とても、素人が着こなせる物ではなかった。
そんな、義母、勝代の姿に、櫻子は、素直に美しいと思った。ただ、それは、目を引くというもので、仇っぽく俗な感じが鼻をつくものでもあった。
色白で、細面、鼻筋も通った、美人だといえる、風貌を持っているのだ。もっと、普通の着物を着たほうが、上品に見えるのに。と、櫻子は、いつも思っていたのだが、今日は、本当に特別なのか、いつもより香水と白粉の匂いがきつく入り交じり、台所に漂っている湯気のような、ほんわかとした料理の香りを打ち消した。
流石の、ヤスヨとキクも、勝代に分からぬ様、顔を背け、発せられている人工的な甘ったるい香りから逃げようとしていた。
「まあ、いいわ、料理も出来ているようだし。ヤスヨ、器へ盛り付けお願いね。冨田の社長は、わざと、約束の時間より早く来る人だから。こちらも、いつ来られても良いようにしておこないと……」
勝代の口から、冨田という名前が発せられ、櫻子はびくりと、肩を揺らした。
やって来るのは、やはり、不動産を手掛ける人間。櫻子の胸は、キリキリ締め付けられた。
ここは、人手に渡る──。
そう思うと、深淵を覗き、この先に底はあるのだろうかと、不安に感じる様な、そして、その、深き淵の向こう側から、青白い手が延び出してきて、着物の袖を引かれるような、背筋が凍り付くとでも言う恐ろしさに見舞われた。
思い出、記憶、を奪われるということは、こんな気持ちになるのかと、櫻子の表情は引きつった。
そんな、櫻子の様子を勝代が見逃すはずがなく、
「あら、櫻子さん、顔色が悪いわね。しっかりしてもらわないと、冨田社長をお迎えしてもらわないといけないんだから」
と、作り笑顔を向けてくれるが、それは、能面のように、冷ややかで、何かを、企んでいるのが、ありありと伺えるものだった。
「……でも、お義母様……」
──私が表へ出ると、困るのではないのですか?こんな、みすぼらしい格好の、裏方の女中と等しい私を、あなたは、どうして引きずり出そうとなさるのです?──
そう言えれば良いのだが、櫻子には、発言するという事すら許されていない。
いや、何か、言ってしまえば、たちまち、怒りの言葉が頭ごなしに降りかかって来る。
櫻子の呟きに、勝代の、白粉をはたいた顔が、瞬時に固まった。
そして、意地悪く目を細めて、言い放つ。
「なんだって?櫻子さん、あんた、家の仕事も手伝えないと、言うのかい?あんたは、店を切り盛りしなきゃならない立場なんだよ?常日頃から、しゃんとしてもらわないと!家の仕事も、ちゃんと、やってもらわないと!」
「……で、ですから……私は、何を……」
櫻子は、勝代の勢いに押され、従っていた。
指先が小刻みに震えた。
いつもこうだった。
勝代に噛みつかれて、恐ろしくないと言えば嘘になる。勝代のことは、面倒だと、言うのが近いのだろう。櫻子が、萎縮し、震えてしまうのは、もう、子供の頃から、こうされていたからで、従わなければどうなるか、と、昔いた女中達に、当たり散らし、折檻するところを見せつけられていたからだ。
皆、理不尽な理由で、櫻子の前で打たれる。井戸の水を浴びせかけられる。など、到底、商人の妻が行うような事ではない、仕打ちを、目の当たりにしては、幼かった櫻子の心に自然と、圧がかかった。
勝代の、次は櫻子だと言わんばかりの、冷たい一瞥で止めを刺されては、勝代の姿に怯え、従うようになる。
見せしめ、という形を、勝代は、わざと取って、櫻子を支配したのだ。
身に染みてしまった物を、消すことは困難だった。
櫻子は、勝代のいら立ちには、従うしかないのだと、思うようになってしまった。いや、勝代だけではない。他の者にも、黙って従う。そうすれば、全て穏便に、丸く収まると、思い込むようになっていた。
「まったく、もう少し、自覚というものを、もってくださいよっっ!あんたの、立場を良くお考え!」
「……申し訳ありません」
小さく、詫びの言葉を発した櫻子に、勝代は勝ち誇ったような笑顔を向けた。
「そう、そう、分かれば、いいのよ。冨田の社長も、素直な子が、お好きだからね、頭を下げて、お迎えして、お帽子をお預りするんだよ」
「はい」
と、櫻子は、返事をした。
同時に、ほっとしていた。
いつもなら、もっと、小言のような、嫌みが続くのだが、流石に、来客前となると、勝代も、それどころではないのだろう。
台所は、頼んだよ、と、ヤスヨとキクに言い付け、櫻子には、客間と台所との繋ぎだと言って、去って行った。
しかし、櫻子の安堵とは裏腹に、ヤスヨとキクは、また、顔を見合わせている。
「……あの、私は、結局、女中ということで、お運びをしたりすればよいのですよね?」
間違っていてはいけないと、櫻子は、何か暗い面持ちのヤスヨとキクに、自分の役割を確認した。
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