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柳原家の裏事情
「姐さん、ちぃと、構わないかい?」
風に舞い散った、庭に植わる桜の花びらを、塀の外で掃き集めていた櫻子へ男が声をかけてきた。
渋い色の着流し姿を着る大柄な中年男からは、何か得たいの知れない雰囲気が漂っていた。
掃除の手を止めて、男の姿を仰いだ櫻子だったが、頬の傷に目が留まる。
一体何者だろう。道を尋ねる、というそぶりでもなく、鋭い眼孔は、櫻子を射ていた。
「なあ、あんた、ここの、柳原家の使用人かい?」
男は顎をしゃくって、塀の向こう、屋敷を指し示した。
明らかに、この家に用がある人間だと、櫻子は、思うのだが、男の、問いに答える事が出来ない。それほど、気味が悪いというか、いや、擦れた感じが、恐ろしかったからだ。
箒をぎゅっと握りしめ、櫻子は、コクンと頷いた。それが精一杯だった。
「ふうーん、そうかい」
男は櫻子を気に留めることもなく、チラチラと、塀の向こうに目をやっている。
そして、
「しかし、天下の柳原家だろ?そこの女中が。なんでぇ、その、格好。ずいぶんと、しみったれてるじゃねえか。いくら、裏方だって言っても、もう少し、なんとかならねえのかねぇ」
と、男は、櫻子の継ぎ接ぎだらけの前掛けを鼻で笑った。
「はあー、使用人には、金を落とさねぇってことか。自分達は、表で、あれだけ派手にしているのに」
こりゃ、どうだ、と、何が言いたいのか、いったい、何の用なのか、男は、ぶつくさ言っている。
「おっと、邪魔したな。ありがとよっ」
じゃあ、と、片手を上げ、男は踵を返した。
小さくなっていくその姿を、櫻子は、じっと眺めた。
まただ。
これで何度目なのだろう。決まって、得たいの知れない、そう、だれが見ても、堅気ではないとわかる男が、通りかかり、一言二言、柳原家の事を尋ねて行く。
何が目的なのか、櫻子には、わからなかったが、当主である、父に、伝えるべきかいなか、迷っていた。
仮に告げれば、男は何をしに来たのだと、問い詰められるだろう。しかし、櫻子には、見当もつかぬ事。正直に答えろと、責め寄られても、答えることは出来ない。
そして──。
通りすがりの男達は、皆、言ってくれるのだ。
「自分達は、派手に暮らして」と。
櫻子にとって、その言葉が、一番辛かった。
本来ならば、その、派手に暮らす表の人間でありながら、こうして、他人には、女中、使用人と、思われる。夜なべで、繕った前掛けを大事にして、裏方作業を行っている。自分は、女中や、使用人ではない。この家の、娘なのだ。と、声を挙げたいのは、山々だった。言われているような、派手な暮らしなど、望まない。ただ、この家の娘として、扱って欲しいだけなのに、父は、後妻とその間に生まれた娘だけを、家族として扱う。
どうして、そんな、おかしな事になってしまったのだろうと、櫻子の心はいつも傷ついていた。
いや、心だけではない。
このように、使用人扱いされ、はっきりと、区別というものをつけられて、裏方の用事を押し付けられる。
裏方の仕事のせいで、手はあかぎれから、ざらついて、一年中素足に下駄履きという、粗末な出で立ちのお陰で、踵も固くなりひび割れていた。
本来の、乙女らしさなど、どこへ。
櫻子は、この仕打ちに、身も心も、朽ち果てるに等しい思いを受けていた。
それに加え、今では、裏方達にも仕事が遅いなどと、文句を言われて、蔑まれるほど、櫻子は、この家に、立場も居場所も、なくなっていた。
自分の家でありながら、いったい、どうして、こんなことに。
父は、なぜ、腹違いの妹、珠子だけを、娘として扱うのだろう。
後妻である、義母への遠慮なのだろうとは、理解している。そして、珠子も、父にとっては、実子なのだから、可愛がるのも当然だ。
でも、と、櫻子は、常に思うのだった。
自分だって、実子ではないかと。
どうして、表側、いや、家族として扱われなくなり、使用人達と共に過ごさなければならないのだろう。
すっかり、柳原家の女中にされてしまい、抗うことも許されない。
一度、何故、どうして、と、父を、義母を問い詰めたことがある。
しかし、その答えは、上質のレースで出来た髪飾りを付け、色鮮やかな振り袖姿の珠子が、述べたのだった。
「だって、珠子が、いるでしょ?」
つまり、娘は、珠子意外いらない。そう、前妻の子供が邪魔なのだ。
「お姉さまは、花嫁修業中でしょ?きっと、すぐに良縁が、ありますわよ」
と、珠子は、高笑ったのだ。
櫻子の頬をつっと、涙が伝う。
いつもそう。
あの時の事を思い出すと泣いてしまう。
はらりと舞い落ちてきた、桜の花びらが、そんな、濡れそぼった頬へ、張り付いた。
「……お母様。どうして逝ってしまわれたの?どうして、櫻子を残して……」
櫻子は、自分が産まれた記念にと、父が、手植えした桜の木を望んだ。
──枯れてしまうかと思ったわ。でも、お父様が、必死に育てたの。櫻子の為だって、お嫁入り道具の箪笥は、この木で作るんだって。でも、箪笥が作れるほどの大木になるまで、待っていたら、櫻子は、婚期を逃してしまいますよと、言ったのよ──
幼い櫻子を抱き上げて、高い高い、をしながら、桜の木下で、母は、語ってくれたのだった。
──ねえ、櫻子。辛いことがあっても、耐えなさいね。この桜の木のように。枯れかけた苗木にも、きっと、救いの手がさしのべられる。そして、美しい花を咲かせる事ができるのだから──
「ええ、お母様、そうね。きっと、お父様も、お考えが、変わるでしょう」
誰に聞かせる訳でもなく、櫻子は、呟いた。
そして、頬に張り付いた花びらを手に取り、母の言葉を噛み締めながら、涙を拭った。
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