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2023/03/20
じいとの大きな思い出などは、実のところあまりない、と書こうとしたが、思い返してみると、小学生の頃に、数回、じいと父と三人でサビキ釣りに行ったことがある。
それに、家のそばの用水路で、沈めてある筒や笹を引き上げて、ウナギやナマズ、ザリガニ、小魚、ヤゴなどを捕まえることは、頻繁にやっていた。ナマズは一度だけ、蒲焼にして食べたと思う。分厚い蒲焼だった。
あと、何度かじいに、即席ラーメンを作ってもらっていた記憶もある。もやしと生卵を入れるのが、じいのラーメンだ。
即席ラーメンは、どんな種類を試しても、最終的には、じいの作ってくれた、金ちゃんの徳島らーめんを、私は一番おいしいと感じる。こだわりがあるような人ではないと思うが、じいが作るラーメンは、決まって金ちゃんの徳島らーめんだった。
言っていなかったが、じいは昔は、工場をやっていた。私が物心ついた時には、もう動いてはいなかったが。
そのため、私の家には工場があり、今でも、よくわからない機械や、無数のネジが、埃を被って保管されている。
皆さんはケシバトをやっていただろうか。消しゴムをぶつけて戦うアレだ。
私と私の兄は、それをペットボトルのキャップでやっていた。そしてさらに、普通のキャップでは面白くないので、工場にあるネジを取り付けて、改造・強化したキャップを戦わせていたのだ。工場があったおかげである。
書き連ねてみると、意外とじいとの思い出があって、物覚えの悪い私にしては、よく覚えていると思った。
じいが死ぬことに、複雑な感想などはない。
「死んでほしくない」と「自分もいつかは死ぬんだな、怖い」の2つだ。
前者はともかく、後者に関しては、人が死ぬかも、という時に、自分もああなるかもしれないと思うなんて、自分はつくづく自分のことが大事なんだな、と、失望を抱く。
情がなさ過ぎやしないか?
それとも、「死んでほしくない」気持ちを抑えるために、別の気持ちを持とうとしているのだろうか。だとしたら、少しは救いがあるかもしれない。
今日はここまでにする。何か思い出したり、考えたら、追記しようと思う。
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