最終話 偽装不倫の行方(7)

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最終話 偽装不倫の行方(7)

結婚式場と言っても披露宴などを行う会場はなく、チャペルで結婚式を行うのを売りにしている式場であり、「式だけ挙げたい」「記念に写真を撮りたい」「低コストにしたい」という人に人気の式場だった。 圭介は地元で式だけ挙げ、佐和子の家族に来て貰おうと言ったが、佐和子が恥ずかしがり断固拒否の姿勢を見せた為東京で二人だけで式を挙げると決めたのだ。 圭介はブラックのタキシードを着る。小柄な自分にコンプレックスを抱いており、こうゆう服を着るのに抵抗があったが、それ以上に式を挙げたかった。それは……。 「……あ、圭介。」 佐和子が振り返る。 佐和子の頭には白色の花の冠を付け髪をアップにいており、化粧はピンクのアイシャドウやチークを使用して可愛らしく、そしてふわっとした純白のドレスを綺麗に着こなしていた。 圭介はいつもと違う佐和子にただ見入ってしまう。 「……あああ、二の腕!ヤバいよね!お腹とか腹筋頑張ったのに全然痩せないし!顔なんてアップにしたから丸い輪郭もろ分かりだし!だから……、えーと!」 佐和子は恥ずかしさから騒いでいたが、可愛らしく仕上げてもらい美しかった。 圭介は思わず……。 「か、か、か、かわ、……川口圭介です……。」 またやらかしてしまった。 「え?……か、川口佐和子です……。」 互いに意味が分からない自己紹介をしており、一部始終を見ていた式場のスタッフはただ笑いを堪えていた。 こうして準備が終わり式場に向かう。佐和子は慣れないドレスと靴に歩きにくそうだが、圭介は佐和子の手を握り一緒に歩いていた。 それは式が始まっても一緒で、遅い佐和子に圭介が合わせ、圭介の優しさが滲み溢れていた。 二人は牧師の言葉に愛を誓い、指輪の交換を行う。……圭介が式を挙げたくなった理由の一つだ。 圭介の指輪は新品同様に傷もなく綺麗だが、佐和子のは傷が多数見られた。それは常に付けていた証だった。 圭介は佐和子のベールアップを行い、二人はお互い見つめ合う。 「では誓いのキスを……。」 牧師が言い、圭介は佐和子の唇に自身の唇を近付ける。式は佳境を迎えようとしていた。しかし……。 「やっぱり無理ー!!」 二人は牧師に叫ぶ。 プランナーと打ち合わせをした時、二人は指輪の交換までで良いと言っていたが、式をしていたら盛り上がるから大丈夫だと言われていた。しかし、無理なものは無理だった。 プランナーは頬は?と聞くが二人にはハードルが高く首を横に振る。よって佐和子の手の甲にキスをする事で式が終わった。 その後は写真撮影をしてもらったが、二人は照れてしまい出来上がった写真全てが頬を赤らめていた。 圭介は、スマホで撮ってもらった写真を眺める。写真アルバムは時間がかかる為、サービスで撮ってもらったスマホの写真を見ていた。 「もう、いいから!寝るよ!」 写真を取り上げたいが、圭介のスマホで撮ってもらっており回収不可能だった。 「私のスマホにしてもらったら良かったー!」 「振り袖の事があるからね。」 成人式の振り袖姿を見せてくれたのは一度だけ。だから圭介はしっかり計算していた。 佐和子はスマホを取り上げ、二人で布団で横になる。 「……佐和子……。」 「何?」 「……俺さ、おばあちゃんに手紙書いてみようと思うんだ。」 「え!」 「まだ母さんの事は許せないけど、一歩進んでみたい。」 「うん。」 二人は手を繋ぐ。 圭介は兼ねてから疑問に思っていた事を聞くと決める。 「……佐和子はどうしてここまで理解してくれたの?普通、ここまですんなり受け入れられないよね?」 「……あー、もう話して良いかな?実はね、お父さんが結婚する時に話してくれたの。『今後、圭介が自身の事を話してくれるかもしれない。その時は、まずは話を聞きなさい。その話は私には受け入れられない話があるかもしれないから無理に受け入れなくて良い。しかし否定だけはしないようにして欲しい、当事者にしか分からない苦しみがあるから……』ってね。」 「お義父さんが……?そっか……。」 佐和子がここまで受け入れていたのは、父の言葉と圭介の様子を見ていたからだった。 「お父さんとお母さんには、家の事言ってたの?……私には言ってくれなかったくせに!傷付いたんだからね!」 佐和子はむくれている。 「それは結婚だからだよ!大事な娘さんを預かるのに自分がした事話さないなんて不誠実だからだよ!だから……!」 「……どこまでも真面目ね。分かってるよ。」 佐和子は笑う。初めはこんな大事な事を隠されていたとショックを受けていたが、今は圭介の気持ちを分かっている。 不安に支配されて、『偽装不倫』だと騒いでいた佐和子はもう居ない。 「……佐和子……。」 「何?」 「……次はいつ?」 「何が?」 「……子供が出来やすい日。」 「……あ、最近不妊治療休んでいたじゃない?だから基礎体温測ってないのよね。」 「……今日良いかな?子供関係ないけど……。」 「え!」 佐和子は驚く。圭介がそういう事を言ってくるのは何年振りか?子作り以外でそうなるのは何年振りか?思い出せないぐらい久しぶりだった。 「……うん!」 二人は医師の勧めもあり不妊治療を止めた。治療をしようとすると逆にプレッシャーになる事から自然に任せると決めたのだ。身籠らなければ夫婦二人で仲良く生きていく……。そう決めたのだ。 転勤から三年半……。仕事で悩んでいた圭介だったが、結局仕事は辞めずに現在も働いている。 「いつでも仕事を辞めていい。」 佐和子にそう言われた事により、圭介はどこか吹っ切れ仕事をコツコツとこなしていた。 変わらず見せしめのような叱責を毎日受けており、ほとんどの行員は関わりたがらなかった。味方だった若い行員達は転勤となり、また圭介一人になった。 しかし新たに来た行員はこの異質さに流されず圭介の仕事を手伝ってくれたり、ずっと傍観しているだけだった係長がさりげなく助けてくれるようになった。 ……この職場は少しずつ変わっていくかもしれない。 こうして時間は過ぎてゆき、季節は冬。35歳の結婚記念日を迎えた。 この日やっと、約束の洋食屋を訪れる事となった。 「ふわふわ卵のオムライス一つ下さい!」 佐和子は元気よく注文する。 「何言ってるの!たーんと食べんといかん!」 そう言った女性店員は、亭主にふわふわ二つ!と叫ぶ。 「あー!本当に一つで良いです!それにオムライスだけで良いですからね!」 佐和子は念を押す。 「いやいや、食べようよ!俺も最近は食べられるようになってきたし!」 圭介は精神的に安定し、食事も美味しく食べられるようになっていた。それに油物も少し食べれるようになった。だから一人前ぐらい食べれると自信があった。 「いや、そういう事じゃないの!すぐに分かるから!」 圭介は、佐和子の店の事を分かっている様子に少し意地悪をしたくなる。 「へぇー、よくお店の事知ってるね?初めて来たんだよね?」 「え?……あー、なんとなくね!そんな気がやたらするの!ほら、こうゆう時って勘が鋭くなるって言うし!いや、夢で見たのかな!予知夢よ!予知夢!」 佐和子は明らかに目を見開き、必死に話す。 「ふーん、そっか。じゃあ味はどんなのだった?」 「味!聞いて!具材はたっぷりで食べ応えがあって、卵は口の中でとろけそうな柔らかい食感なの!まさにふわふわ卵のオムライスって感じ!あと、ポテトや唐揚げはジューシーでいくらでも食べられるの!あー!久しぶりー!早く食べたい!」 「ふーん、すごい具体的な夢だね。」 圭介はにっこり笑う。 「そう……かな?でも初めて……かな……?」 佐和子は目を見開き無理に笑う。そこに……。 「あんた、忘れっぽいね!前に来た事あるだろう?この年で物忘れしてたらいかん!」 女性店員が話に入って来る。 「……人違いでは……?」 佐和子の顔は明らかに引き攣っている。 「わしは一度見た客は忘れん!大ちゃんとこないだ来たじゃろ?」 「こないだ!それは本当ですか!」 圭介はまさかの発言に唖然とする。軽く佐和子を困らせようとした事により、とんでもない現実を知ってしまったのかと青ざめる。 「ち、違うの!来たのは二年前で偽装不倫を終わらせたあの日!あれから会ってないからー!」 佐和子は絶叫する。……他の客が居なくて良かった……。 「正確には一年と九ヶ月前だ。」 その発言に、二人は女性店員を見る。 「それはこないだとは言いません!」 二人は叫ぶ。 「えーと、圭介、あのね、だから!」 佐和子はごまかそうと手を慌てて動かす。もう見ているだけで可哀想だ……。 「……俺、あの日ずっと後ろにいたよ。」 「え!!」 佐和子は全てを察する。 「本当に気付いていなかったんだね?佐和子鋭いなと思っていたけどやっぱり鈍いな。」 圭介は安堵の表情で笑う。 「悪かったなー!……いつから?」 「二人が夕日見ている所……かな?」 「え!じゃあ電車に乗ってる所も、ここも、バーに行くのも見てたの?」 「うん、花貰うところまでねー。」 「あちゃー。」 佐和子は額に手を置く。嘘はバレバレだった。 「佐和子は前に、俺は嘘吐いたらすぐ分かると言っていたけど佐和子もすぐ分かるよ。だからもう嘘吐かないで。」 そう言い、嘘だと分かっている事を全て話す。佐和子は上手く言ったと思っていたからこそ、ただ青ざめる。 「……ごめんなさい……。えーと、どうして分かるのかなー?」 「秘密!……これからは嘘は吐かないでね。」 圭介は笑う。これくらいの軽口を話せるぐらいになっていた。 「はい、待たせたねー!」 大皿にのったボリュームがあるオムライスが運ばれる。 「……なんか、大きくなってませんか?」 「サービスだよ!栄養摂らないかんからね!」 女性店員はニコニコ笑う。 「うわあ、大きいね!……えーと、取り皿は……。」 圭介もシェアすると思い込んでいる。 「はーい、待たせたねー!」 女性店員はもう一つのオムライスを持って来る。 佐和子は額に手をやり、圭介はその光景に首を傾げる。 「……いや、注文のオムライスはきてますよ?」 「何言ってんの?二つだよ!若いからたーんと食べんと!」 「え!これ一人前?」 「少なかったかい?」 「え?え?」 圭介は混乱する。 女性店員はやっぱりポテトと唐揚げをニコニコ笑いながら持って来て、圭介はただ呆然としていた。 「……分かったでしょう?お持ち帰りあるから無理しなくていいからね!」 「なる……ほど……。明日の昼……夜まで賄えそうだね……。」 圭介はそう言いながら一口食べる。 「美味しい!」 「でしょう!」 二人は顔を見合わせ笑う。 佐和子はこのお店で圭介と顔を見合わせた事により、一瞬だけ思い出してしまう。あの優しい笑顔を……。 「……今、川越さんを思い出しただろう?」 圭介はお見通しだった。 「……あの時何て言われたの?耳元で何か言われていたよね?」 「秘密!……そういえば圭介こそ言われていたよね?何?」 「……男同士の約束だよ……。」 「何それ?」 お互いに顔を見合わせ、ただ笑う。 圭介は分かっている。大輔の佐和子に対する恋心、いや見返りを求めない愛を……。 あの日、自分をあえて挑発し意気地なしな自分が飛び出して助けるように全て仕組んでいた事を。……そして大輔が葛藤に苦しみながら強行してくれた事も。 全ては佐和子にただ笑っていて欲しかったから。 そうゆう事だったのだろう……。 二人は必死に食べるが半分で限界だった。 「すみません!お持ち帰りお願いします!」 佐和子は女性店員に頼む。 「あれま?こんなに残して!もっと食べな!大事な時期やって!」 「いやいやいや、太り過ぎって言われているので……。」 佐和子は必死に断り、タッパーに詰めてもらう。 「ふぅー、お腹いっぱい!」 少食の圭介が食べ過ぎていた。 「圭介、大丈夫?」 「全然!食べられるようになってきたから!」 「……良かった。」 「……もう来れないのが残念だな……。ごめんな……。」 「圭介のせいじゃないでしょう?分かっていた事じゃない?」 「……うん。」 その場が静まり返る。 「あ、ねえ!この卵、どうやってふわふわにしてると思う?牛乳でもこのふわふわは無理なのよねー?」 佐和子は無理に話を変える。 「うーん、確かに初めて食べるな……。」 そんな話をしている時、女性店員がタッパーに入れた食事を持って来る。 「あ、すみませーん!このオムライスの卵何入れてますー?」 佐和子は食い気味に聞く。 「いや、聞いたらだめだろう?」 「あ、そっか、ごめんなさい。」 「生クリームだよ。」 惜しげもなく教えてくれた。 その後会計に向かう。 「え?安過ぎですよね?」 相変わらず、オムライス代しか受け取らなかった。 「……元気でね。」 「はい!」 二人はお店から出て歩き出す。 「いやあ、あそこ採算取れてるのかな?」 圭介は店を心配する。 「……そういえば佐和子。バーに通っていたんだよね?いくらぐらいしたの?」 「お小遣いで払ってたから!1杯200円だし、お菓子我慢して……!」 「200円!いやいやいや、ありえないだろう!」 圭介は気付く。佐和子にサービスしていたのだろうと……。 二人が歩いた先は繁華街だった。イルミネーションに彩られた街は美しく、街全体に広がるキラキラした輝きに二人は魅了される。 佐和子は大輔とイルミネーションを見ながらアパートに送ってもらった日を思い出す。 「……今頃どうしているかな?川越さん……。」 佐和子が思った事を圭介が代わりに呟く。 「……バー、閉店させたよね……。」 佐和子はあれから確かめに行ってない。別の店になっていたら淋しいからだ……。 「……連絡取れないよな?」 「うん、既読にならなくて……。多分ブロックされちゃったかな?」 佐和子は泣きそうになる。 「……佐和子……。」 「あ!それより来週の買い物に行く約束忘れないでよね!」 「うん、でも佐和子が遠くに行きないなんて珍しいね。」 「どうしても会いたい人がいるの!……あ、大輔さ……、マスターじゃないからね!」 「分かってるよ。」 二人は繁華街の街をゆっくり歩く。東京に来て四年、やっとこの街のイルミネーションを一緒に見る事が出来た。 次の週の土曜日、二人は電車に乗る。行き着いた先はショッピングモール。……前に大輔と行った場所だ。 二人は専門店に入り、佐和子の下着、服、パジャマを二着ずつ買う為に下見に来ていた。 「二着で足りるの?」 「平気平気!洗濯毎日するから!」 「入院中どうするの?」 「……あ!でも今しか着ないしー!」 「……買っていいから……。」 そんな事を話しながら選んでいる。 そして佐和子の行きたかった一階に行く。そこは化粧品販売店だった。 「じゃあ終わったら連絡して。」 圭介は一人時間潰しに行く。 そして佐和子はお店に恐る恐る入る。やはり敷居が高かった。 「いらっしゃいませ。」 女性店員が迎えてくれる。……あの時、化粧のやり方を教えてくれた店員だった。 「……あの、化粧品の相談乗ってくれますか?」 「勿論、どうぞ。」 佐和子は中に案内される。 「どうしました?」 「最近、肌が荒れやすくて化粧品が合わなくなってきたのかと思いまして……。」 佐和子は最近の悩みを相談する。 「……うーん、今は敏感な時期ですからね……。これぐらいなら今のままで大丈夫だと思いますよ。」 「え!本当ですか?」 「ええ、私もそうでしたから!ただ、終わった後しばらくしても荒れたままなら、また来て下さいね。敏感肌用の化粧品を案内させてもらいます。」 「……あ。はい……。」 佐和子は淋しい眼差しで女性店員を見る。 「どうかしました?」 「……いえ、ありがとうございました。」 佐和子は帰ろうとする。 「サービスのコーヒー用意しますね。」 「あ、あのコーヒーは……!」 「デカフェですから大丈夫ですよ。」 「あ、ありがとうございます……。」 佐和子はあの時の事を思い出す。相手の心を試すのは止めた方が良いと止めてくれた人。佐和子は、あれから夫と上手くいったと報告したかったが、いちいち客の事なんて覚えていないだろうと話せずにいた。 「お待たせしました。」 女性店員はコーヒーを持って来る。 「……美味しいです。」 佐和子は自分だけが覚えていたら良いと思いながらコーヒーを飲む。 「……ご主人と上手くいったみたいで良かったですね。シミも減ったし、ケア頑張られたのですね。」 女性店員はクスクス笑う。 「……え?」 「『偽装不倫』は上手くいきました?」 女性店員は小さい声で聞いてくる。 「覚えていてくれたのですか!一回しか来てないのに!」 「ええ。どうなったかと思っていたので。でも思った以上に幸せそうで良かったです。」 「いや、その!……はい、上手くいってくれて……。」 佐和子は嬉しそうにただ笑う。 「ただ、ごめんなさい。余計なお世話ですけど少しでも変だと思ったら病院に行った方が良いですからね?」 「え?」 「……後悔だけはして欲しくないから……。」 女性店員はまた悲痛な表情をする。……過去に何かあったのだと佐和子は気付く。 「……はい、胸に刻み込んでおきます。」 「良かった……。あ、でも滅多な事ないから!リラックス、リラックス!」 「はい!」 佐和子が笑うと女性店員も笑う。佐和子は以前と違い、表情が明るくなっていると気付く。 「……あの……、何か良い事ありました?」 「え?……あ、分かります?」 女性店員は顔を手で隠す。 「はい、教えて下さいよ!」 「……実は奇跡が起きました……。信じられないような奇跡が……。」 佐和子は話を聞く。それは信じられない、クリスマスの日に起きた奇跡だった……。 その女性店員は笑うとより美しい顔をしており、仲の良い夫婦なのだろうとよく分かった。 佐和子はその後、圭介と合流し佐和子がどうしても食べたいと言うファーストフードに行く事にした。 佐和子が食べ過ぎないように、ポテトを二人で分けて食べる。 「体重は大丈夫なの?」 「いっぱい歩いたから良いの!」 「じゃあ、帰りもしっかり歩かないとね。」 「えー!」 二人は笑いながら話す。 その後も、ウインドショッピングを楽しみ電車に乗りアパートに帰って来る。その部屋は綺麗に片付けてあった。 「やる事全てやった?」 圭介は聞いてくる。 「うん、会いたい人には会ってきたし、行きたい場所にも全て行った。思い残す事はないよ。」 佐和子は無理に笑う。 「……佐和子……。」 「何?」 「……俺、おばあちゃんに会いに行こうと思うんだ。何か縁みたいなものに導かれたような気がして……。」 「うん!そうしたら良いよ!」 佐和子は笑顔で頷く。 圭介は祖母と文通を通して、お互いの心境を知っていた。そして、まだ見ぬ孫に一目会いたいと願っているとよく分かっていた。 「……何話したら良いかな?」 「圭介が話したい事を話したら良いんだよ!」 「話したい事か……。何だろうな……?」 圭介は悩んでしまう。変わらず、自分が話したい事より相手が話したい事を考えてしまうのだ。 「じゃあ私も行って良い?報告もしに行こう!」 「……良いの?……ありがとう。」 圭介は安堵する。佐和子は場を和ませる愛嬌さがある。気負っていた思いが一気に軽減する。 もしかしたら、親子が再会する日も近いのかもしれない……。 ……だからこそ、圭介も佐和子の背中を押すと決める。悲しい別れをさせたくない。 「……会ってきなよ、川越さんと……。」 「え?」 「ずっと会いたがっていた事分かっていた。だから洋食屋の店員さんに聞いたんだ、いま川越さんはどこにいるかを。……そしたら……。」 佐和子は大輔の居場所を聞く。 「どうして知ってるの?」 「ほら、こないだお店に行った時、川越さんの事を『大ちゃん』と呼んでいたから、常連さんじゃないかと思って。だから近況を知ってると思って聞いたら話してくれたよ。」 「……大輔さん……。」 「ほら、今日で最後なんだから会いに行ってきなよ。ほら。」 圭介は佐和子に200円渡す。 「栄養たっぷりのオレンジジュース作ってもらおう。その間に積もる話をしたら良いから……。」 「……ありがとう……。」 佐和子は泣き出す。……ずっと会いたかったからだ……。 「ほら行こう。」 圭介は佐和子を連れ出す。 「一人で行けるよ。」 「だめ、一人での夜の外出は禁止だって言っただろう?……さあ、行こう!」 「うん!」 佐和子は大輔に渡す物を携え、二人でアパートを出て行く。行き慣れた道を歩き、大輔の居場所付近に着く。 「圭介ありがとう。後は行けるから!」 「帰りは必ず連絡してね。」 「うん。」 佐和子は一人歩いて行く。空からは初雪がチラチラと降り始めていた。 「……雪か……。」 大輔は窓の外を見て一言呟く。 美しい雪を見ながら一人物思いに耽る。そこに一人の女性の姿が見えた。……いや、そんなはずはない。そう思いながらドアを慌てて開ける。そこに居たのは……。 「……大輔さん。」 想いを寄せる女性だった。 「……マスターだろう?ここには来たらだめだと言ったのに……。」 言葉とは裏腹に穏やかに笑っている。 「……まだ居たんだとか聞かないの?とっくに居なくなってもいい頃だったのに。」 「美容室の奥さんから聞いてるよ、髪切りに来たってね。……結婚式したんだって?」 大輔は佐和子から目を逸らす。 「やだー!言ってたの!恥ずかしい!」 佐和子は顔を抑え俯く。 「仲良さそうじゃないか?ここに来る必要ないだろう?」 「……あ、うん。最後……だから……。転勤が決まったの。明日出発だから……。」 大輔は佐和子を見る。その表情は壊れそうな笑顔だった。 「……転勤から四年だよね?よくいられたね?」 「……ううん、やっと転勤になったの!係長さんがこれから大変なんだからって無理に転勤にしてくれたらしくて、地元に帰れるの!」 「え!地元に?良かった!……良かったね……。」 「うん!」 お互いに顔を見合わせる。物理的に気軽に会える距離ではない。本当の別れだと……。 「もおー、メッセージアプリで連絡したのに連絡取れないし!まさかお店再開させてたなんて思わなかったからお店に電話も出来なかったの!絶対ブロックしてたよね?」 「……仕返しだよ。」 大輔は笑う。 「あと、私のスマホ、圭介の番号もメッセージアプリも拒否にしていたでしょう?壊れたと思って携帯会社に持って行ったら拒否設定になってて驚いたんだから!」 「……それに関してはごめん!いや、本当に!」 まさか店に持って行くとは思わなかった……。 「……お店続けたんだ。」 「ああ、まあ惚れた弱み……かな?」 大輔は佐和子を見つめる。 「そうだよね!惚れ込むぐらい素敵なお店だもんね!」 「……佐和子ちゃんは変わらず……だな。」 大輔は安堵の表情で笑う。 「あの洋食屋行ってるらしいね?常連さんなの?」 「うん、美味しくてね。……でもすごく出されて次の日の朝と昼にもなってるな……。」 「分かるー!相変わらずなんだよねー!」 笑う佐和子が持っている鞄には、例のストラップを付けており大事にしていると分かる。 「これ、大輔さんに受け取って欲しくて……。」 佐和子はアネモネの押し花を大輔に渡す。あの日佐和子に渡した赤い花だった。 「すごいね!飾らせてもらうよ!……これ作ったの佐和子ちゃんじゃないだろう?」 「勿論!無器用だし!」 佐和子は即答する。 「……これ家にもあるの?」 「うん!圭介が押し花にして飾ってるの!大輔さんのプレゼントに感動したんだろうね!」 佐和子は無邪気に笑う。……鈍感は本当に相手を傷付ける……。 「……感動というより戒めじゃない?」 「何の?」 「いや、何でもないよ……。」 大輔は佐和子の指に目がいく。……結婚指輪を付けていない。 「……指輪は?」 「……あ、今は付けたらいけないと指導されているから……。」 「え?何?どうしたの?大丈夫?」 佐和子はその問いに恥じらいながら笑う。……その顔は。 コートを着ていても分かる、佐和子のお腹がふっくらしていると……。 「そっか……。」 「大輔さんのアドバイスのおかげ。ありがとう。」 「……言わなくて良いよ。」 大輔はまた佐和子から目を逸らす。 「……そうゆう時は指輪したらだめなんだ。」 「うん、浮腫むから。」 「これでオレンジジュースを作って下さい。」 佐和子は200円を出す。 「……えーと、旦那さん知ってる?」 大輔は心配する。こんな時に離婚問題に発展したら佐和子と……。 「うん、圭介が行ってきて良いと行ってくれたの!」 「旦那さんが!」 大輔は周りを見渡す。……怪しい影が見えた……。 「……分かったよ、ただしお金はいらない。特製オレンジジュースをご馳走させてくれ。」 「え?でも……。」 「最後ぐらいご馳走させてくれよ。」 openからcloseにし、佐和子を中に案内する。 「お店良いの?」 「良いよ。雪降ると誰も来ないし。」 バーのドアを閉める。 大輔はいつもの接客用の場所、佐和子はいつものようにカウンター席に座る。 「……佐和子ちゃん、困った事があったら連絡してきな。ブロック解除しておくから。」 「良いの?」 「ああ、物理的に距離があるから変な気は起こさないから安心してくれ。良き友人として話を聞くよ。」 大輔は優しい眼差しで笑う。……今後も名脇役として佐和子が困っている時に支えるつもりのようだ。……見返りのない愛だった……。 「それで、結婚式の写真は?」 「見せなーい。」 「見せないと作らない。」 「なんでそんな意地悪するのー!マスターのバカー!」 「はいはい、バカですよ。」 「200円受け取ってよー!」 「これお小遣いじゃなくて、旦那さんからもらったんだろう?だから受け取りたくなーい!」 「意味分からないんだけどー!」 雪が降る中、二人の笑い合う声が店外に響き、圭介はその声と窓から見える二人が笑い合う姿をただ優しく見守っていた。
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