1話 結婚指輪

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1話 結婚指輪

序章のあらすじ 川口佐和子は夫が大好きな専業主婦。 そんなある日、佐和子は夫が「大切な日」を忘れていた事に怒りアパートを飛び出す。 行き先は行きつけのバー。その店のマスターに夫の事を愚痴りながら「離婚する」「不倫して」と悪態をつく。 見かねたマスターは本当の不倫ではなく『偽装不倫』を提案。偽装不倫の証として佐和子の指輪を預かる。 川口佐和子 33歳 専業主婦の女性。構ってくれない夫に不満を持っている。夫の気を引く為偽装不倫を企てる。 マスター 佐和子行きつけのバーのマスター。当て付け不倫ではなく、偽装不倫をしたら良いと提案する。 ──────────────────────── 一 次の日 朝 一 佐和子は目を覚ます。布団の隣に夫はおらず、スマホの時計を慌てて見る。時刻は七時……。 「あ!」 夫は仕事に行った後だった。朝ご飯もお弁当も用意せずに夫を一人仕事に行かせてしまった……。 「やっちゃった~。」 佐和子は頭を抑えて俯く。 溜息を吐きながら冷蔵庫を開けると、昨日作っておいた食事は減っている。 「一応食べてくれたのね……。」 二日酔いが酷い佐和子はシャワーを浴びる。それが一番酔い醒ましに良いからだ。頭からシャワーを浴び、髪の毛をいつも通りシャンプーしていた佐和子は指に何か違和感を感じる。 「……あ!」 そう、左手薬指の結婚指輪が無くなっている。 佐和子の酔いは完全に醒め、シャワーを早々に終わらせ部屋中を探し回る。洗面所、台所などの水回り仕事の時に外しそうな場所から探すが見つからず、リビングや寝室を探すがやはり見つからない。 佐和子は昨日の自身の行動を思い出す。 「マスター!」 ようやく昨日の会話や行動の一部を思い出す。 ……思い出すが、自分が酔ってマスターに悪態をついた事を恥じる。 一 夕方 一 佐和子は、バーの営業時間になりすぐ電話をする。 気が気でなかったのか部屋は家事の粗が目立つが、そんな事構わず佐和子は指輪の事しか考えていない。 数コールでマスターが出て、気まずいなか指輪について話をする。 マスターは営業用の声から、いつも佐和子に話しかける親しい人に話しかけるような声になる。佐和子とマスターは、客とマスターいうより、もう友達のような関係だった。 『指輪を返して?だめだよ、あれは「偽装不倫」の証だからね。』 「昨日は酔っていたの!不倫なんて馬鹿な事……。お願い、圭介が失くしたと気付く前に!」 マスターはしばらく黙り込む。 『……いいよ、返す。』 「ありがとう!今から取りに行くから!」 佐和子は慌てて家を出ようとする。急がないと夫が帰ってきてしまうからだ。 『……待って、簡単には返さないよ。旦那さんが指輪をしていないと気付いたら。それが条件だ。』 その言葉に佐和子は思わず立ち止まる。 「……え!どうして?」 『「偽装不倫」するのだろう?』 「あれは酔っていたから!」 『とにかくやってみて。』 プッ……、ツー、ツー、ツー。電話が切れる。 「どうしてマスター?意味分からないんだけど?」 佐和子は一人呟く。 … 夜9時、佐和子の夫が帰ってくる。『川口圭介』銀行員の彼は佐和子と同じ33歳。二年前の転勤時に支店長代理に昇格し順風満帆な人生を歩んでいる。転勤は多いが年収は良く、圭介だけの給料で生活が安定している。 しかし転勤になり二年、昇進したからなのか今居る支店が忙しいからか、帰宅は基本9時を回るようになった。昨日はトラブルがあった事から11時に帰って来ており朝はいつも通り7時前の出勤、休日出勤もする日もあり倒れないか心配になる事もある。 「……おかえり……。」 「ただいま……、昨日はごめん。」 「どうして怒っていたか分かってる?」 「……うん、ごめんな……。」 佐和子の表情は明るくなる。思い出してくれたなら良い。ご飯を出し二人で食べ始める。 「……じゃあ、昨日の分もクリスマスに埋め合わせをしてもらおうかな?」 佐和子は機嫌良く話し始める。 「昨日……?あ、ああ、そうだね……。」 圭介は無理に笑う。 「去年行けなかったとか洋食屋さんに、駅前のイルミネーションに……。うーん、圭介は?」 「佐和子が行きたい所で良いよ。」 ……まただ、圭介は自分の行きたい所やどう過ごしたいとかを一切言わない。いつも佐和子が選んで良いの一言で終わる。それは昔からだった、デートの場所も、何を食べるかも、話す内容も、結婚式も、いやこの結婚についても……。 「圭介も意見言ってよ。……圭介?」 圭介は食事をしながらウトウトしている。 ……疲れていると一目で分かる。 カチャン……。 ウトウトしていた事により圭介は持っていたお箸を落とし目を覚ます。 「……あ、ごめん。」 圭介は慌てて食事をする。 「……ねえ、圭介は?圭介はどこに行きたい?」 佐和子は淋しさから、圭介が疲れていると分かっていても話しかける。 「……え?どこか?何だっけ?」 圭介は仕事の疲れからか、頭が回っていないようだ。 「昨日の埋め合わせしてくれるんだよね?」 「……昨日?何かある日だったっけ?」 寝ぼけて最悪な質問をしてしまう。……そう、圭介は昨日が何の日か忘れていたのだ。一ヶ月前にその日は早く帰ると約束していた事も……。 「何それ……?覚えていなかったの?」 佐和子の表情は険しくなる。 「あ!いや、違う……、だから……!」 「何の日よ!」 詰め寄る佐和子に圭介は黙り込む。 ── 本当に思い出せないのだと、佐和子は圭介の顔を見る事で察する。 「もういい!」 そう言い、佐和子は自分の分の食器を下げる。 ……この夫婦はいつもこうなのだ、佐和子が愛を求め、不器用な圭介はそれを上手く返せない。佐和子が怒り圭介が謝る、いつもそうなのだ。 その後、圭介は食事を全て食べて食器を持って来るが、何を言わずに入浴する。 ……佐和子はその間、食器の片付けをするが悲しみは増大していく。 ── いつまでお風呂に入っているのよ!ここで好きだと言ってくれたら許すのに……。圭介のバカバカバカー! 佐和子はそう思うが、圭介はそうはしない。硬派な男はそんな事気軽に出来ないのだ。 食器の片付けが終わる。 ……しかし圭介はお風呂に入り30分経つがまだ上がって来ない。いつもはもう上がって来る頃なのにだ。 ── 私から逃げてる。 佐和子はそう感じる。 … 圭介はようやくお風呂場より上がって来るが、そこに佐和子は居ない……。 「マスター!いつもの!」 佐和子は怒りから、またバーに訪れていた。 「佐和子ちゃん……、また来たの……。」 「来たら悪い!」 「いやいや、まあ座りなよ……。」 佐和子は他の客が居た事に気付き、客に謝りながら静かにテーブル席に座ろうとする。 しかし常連客は笑いながら佐和子をカウンター席に連れて行き、自分達はテーブル席に移る。 そして二人のやり取りを笑いながら見ている。 「指輪を取りに来たの?」 マスターはいつものカクテルを出す。 「圭介、昨日が何の日か覚えていなかった!」 佐和子はグラスを傾け、カクテルをまた一気に飲み干そうとする。 「こら、一気はだめだよ。」 マスターは佐和子の手を掴み止め、佐和子を見つめる。 「バー アネモネ」のマスター、『川越大輔』 35歳。身長180センチ、骨格の良い彼はなかなかの美形であり、趣味はサーフィンである事から日焼けしており体格が引き締まっている。独身の彼目当てにバーに来る女性客もおり人気があった。彼に見つめられると女性は落ちてしまうからだ。 「アルコール少ない!もっと入れてもっとー!」 「ヤケ酒する子に飲ませるお酒はないよ。」 マスターはおつまみのチーズを渡すと、佐和子はバクバク食べる。見事な食べっぷりにただ笑う。 「指輪の事は気付いてくれた?」 「気付く訳ないでしょう!!圭介のバカバカバカー!!」 先程のカクテルを薄めた物を佐和子はガブガブ飲む。 「お酒足りなーい!!」 マスターは黙って新しいグラスを出す。 「これ水じゃないの!!」 「だから今の君にはこっちが良いんだって……。まったく、一杯で酔うくせに加減を知らないんだから……。」 「全然酔ってないー!!」 佐和子はそう言うが感情のまま叫んでおり、明らかに酔っている。 見かねたマスターは佐和子の指輪を出す。ケースに入れて大事に保管してくれている。 「これを付けて帰れば君はいつもの日常に戻れる。まあ、今日出てきた事は不審に思われるかもしれないが、喧嘩して出て行ったで通る話だ。しかし、二日連続で酒の匂いを残して指輪を付けていなかったら、いくら鈍い旦那さんでも君の異変に気付いてくれるかもしれないよ?」 佐和子は指輪を見つめる。 一 六年前 一 ジュエリーショップのショーケースを、若かりし頃の佐和子と圭介は覗き込む。 『ねえ?どれが良いと思う?』 『佐和子が良いと思う物で良いと思うけど……。』 『じゃあこれは?ストレートのダイヤが埋め込んでるやつ。』 『……あ、うん……。良いんじゃない?』 『あ、でもウェーブも良いな……。ねえどっちが良いと思う?』 『え……。』 圭介は黙り込む。 『じゃあ圭介は何にするの?ストレート?ウェーブ?』 『佐和子が選んで……。』 『なんでそうなるのよ?』 一 現在 一 この指輪を買いに行った日を思い出す。圭介はせっかく買った結婚指輪を数回は付けたが、すぐに外してしまった。違和感を感じて馴染まなかったと言っていた。……ただ、実際はどうなのだろう?佐和子は圭介が鬱陶しがっているのではと感じる。指輪と……。 佐和子は水を一気に飲み、乾いた口内を潤す。そして……。 「……マスター、私の不倫相手になって……。」 「だから『偽装』のね。覚悟出来た?」 「……うん、私ね……。」 佐和子は『偽装不倫』を決めた理由を言葉に出す。もうブレない、決意した瞬間だった。 一 次の日 一 佐和子は布団で目が覚める。 「……あれ?どうやって帰ってきたんだっけ?」 佐和子はあれからの記憶がすっぽり抜けている。 「……頭…、痛い……。あ!時間!」 圭介はまた布団にいない。 「また、やっちゃった……。」 佐和子は一人項垂れる。しかしすぐにシャワーを浴びて酔いを醒まし、名誉挽回にと家中を綺麗に磨き上げる。そして買い物に行き、いつもより気合いを入れ食事の用意をする。そして夜九時、圭介は仕事を終え帰って来る。 「……ただ今……。」 「おかえり。」 佐和子は昨日の事を怒らず、逆を言えば謝らず日常に戻す。 圭介は何かを言おうとし黙り込む。結局二人は何も言わず食事をする。 「ねえ、圭介?」 「何?」 「『何か』気付かない?」 「……え?えーと、味噌変えた?」 圭介は気付かない、妻の寂しい指先に……。 「……いや……、いいの……。」 「ごめん……。」 食卓は静かになる。 その後、佐和子はお茶碗をわざと傾け、指をわざと圭介に見せつけたり、指が痛い、浮腫んだと言い指をあからさまに見せるが圭介は反応しない。 佐和子は限界だった。圭介に心配してもらおうと自分がバーに出入りしている事を話そうとする。 「……ねえ、昨日は……。」 「……ご馳走様……。美味しかったよ……。」 圭介は丁度食べ終わり、食器を洗い場に運びそのままお風呂に行ってしまう……。 一人残った佐和子はもう食べる気が起こらず、明日の昼にしようとタッパーに詰め直す。 佐和子は食器の片付けをしながら一人思う。 (……どうして気付いてくれないの……。一緒に選んでくれたのに……。結婚の証なのに……。……それだけじゃない、どうして「昨日どこに行っていた?」と聞いてくれないの?怒ってくれないの?どうして……?) 「……私が……、私が『押し掛け女房』だから……?」 佐和子は一言呟く。
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