蓮華のじいちゃん

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蓮華のじいちゃん

 滝裏の祠にお願いをした夜、少年は夢を見ました。  夢の中で、大好きなじいちゃんと一緒に川で鮎を釣っています。じいちゃんは、釣り上げた鮎を少年に渡し、先に家に帰るように言っています。少年は、かごいっぱいの鮎を抱えて川から上がり岸に着くと、振り返ってじいちゃんに手を振りました。  じいちゃんは上流から流れて来た大きな蓮の花の船に乗って、そのまま川を下り対岸へ渡って行きました。じいちゃんは、遠く下流の向こう岸からにこやかに手を振っています。少年とじいちゃんは、お互いに笑顔で手を振り合っています。  そこで目が覚めた少年は、なんだかほっとした気分になりました。 〈きっと、じいちゃんは蓮の花に守られているんだな。蓮華の眠りに就いたんだなぁ。〉 そう心の中で思ったのです。  そして、この夢の話を河童に話したくてたまらなくなりました。夕方が来るのが待ちきれず、学校でもそわそわして落ち着きません。  やっと授業が終わり夕方になると、少年は自分の荷物を掴み滝壺に向かって駆け出して行きました。あまりに慌ただしく急いで教室を飛び出して行く少年に、いつも一緒に帰っている男の子たちは驚きました。 「なぁ、あいつどうしたんだ?」 「さぁ、あんなに急いでどこに行くんだ? しかも俺たちに何も言わないなんて。」 「うん。怪しいな。つけてみようぜ。」 男の子たちは、少年の後を追って慌てて教室を出て行きます。必死に追いかけ少年に追いつくと、滝壺の入口に着きました。 「おい、ここは滝壺じゃないか? まずいぜ。」 「あぁ、まずいな。ここは河童が棲みついているって大人たちが噂してたぞ。まずいな。帰ろう。」 「うん、帰ろう。でも・・・ あいつ大丈夫なのか?」 「だけど怖いよ。それに、滝壺に行ったって大人たちにバレたら叱られちまうよ。今日は帰ろうよ。」 怖くなった男の子たちは、滝壺の手前で引き返して行きました。 滝壺に着いた少年は、大きな声で河童を呼んでいます。 「河童さーん。河童さーん。」 「なんだお前、また来たのか? 毎日は来ないと約束しただろう? どうして来たんだ。」 「うん、分かってる。でも、昨夜の夢の話を、どうしても河童さんに聞いて欲しくって。」 少年に言われ滝壺から上がって来た河童は、仕方なく縁に腰かけました。  少年は昨夜見た夢の話を、嬉しそうに河童に話し始めます。しぶしぶ腰かけ話を聞き始めた河童の方も、本当は少年に会えて嬉しい気持ちが頷く顔に現れています。 「よかったな。きっとじいちゃんがお前に礼を言いに来たんだな。お前を安心させたくて、夢に出て来てくれたんだよ。」 河童が少年の肩を叩きました。 「やっぱり? そうだよね。僕も朝目が覚めた時、そう思ったんだ。きっと、じいちゃんは蓮華の眠りに就けたんだって。」 「あぁ、蓮の花に乗って彼岸へ着いたんだ。もう大丈夫さ。安心しろ。そういやぁ今頃、長慶寺の蓮池で蓮の花が咲いているぞ。一度見に行ってみるといい。朝早く行くんだ。昼過ぎにはもう、花は閉じちまうからな。」 「うん。分かった。行ってみるよ。」 少年は、本当に嬉しそうに河童を見つめています。少し照れくさくなった河童は、 「じゃぁ、せっかく滝壺に来たんだ。一緒に経を唱えるか。」 と、正座をしました。  少年も笑顔の余韻が残るまま河童の隣に正座をして両手を合わせます。そして、河童がくれた経の紙を広げると、二人は静かにお経を唱え始めました。 他に誰もいない静まりかえった滝壺に、二人の読経の声が響いています。まだ陽の高い夏の夕暮れに、周りを木々に囲まれた滝壺は仄暗く冷やりと涼しかった。  その夜、河童は寝付けずにおりました。胸の辺りにとても暖かいものが広がって、目が輝いて眠れなかったのです。深夜になって滝壺のふちまで出てくると、寝転んで空を見上げております。やっと浮かんで来た下弦の月が、青白く滝を照らしています。 「半分でも、キレイな月だなぁ。」 河童がぽつりとつぶやくと、 「あぁ、そうだな。お前、やっぱり優しいな。いいやつだな。」 横でカエルが言いました。 「そうか? 俺、いいやつか?」 河童が聞きますと 「あぁ、いいやつだ。」 カエルが繰り返して言いました。 それきり河童とカエルは黙ったまま、ぼんやりと半分の月を眺めております。  そうして夜は更け、次第に白々と空が明け新しい朝を連れて来る気配がしています。河童は、とうとう眠れぬまま滝裏へ戻って行きました。滝壺は、ぽちゃんと一つカエルが跳び込む音を立てました。
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