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「もうすぐ完成するよ」  いつものように美術倉庫の扉を開けて隅の椅子に腰かけると、奥村はとてもシンプルな進捗報告をしてくれた。  今の作品は高校一年の三月終わりに書き始めたから、のべ三週間が経とうとしている。絵を一枚描くのは時間と労力がかかるのだ。 「たぶん、これで最後だと思う」 「最後って?」 「これが完成すれば丸一年分の桜が描き終わるの。校舎裏の桜が全部揃う。これでわかる気がするんだ」  彼女の背後には十数枚のキャンバスが置かれている。すべて彼女が描いた桜の絵だ。  蕾の残る三分咲きの桜、吹雪くように散りゆく桜、花が散っても鮮やかな葉桜、葉すら落ちて枝を尖らせる桜。四季折々の桜を彼女は描き、知り続けてきた。  そして、この作品で一年が経つ。 「ようやくか」 「うん。やっと」  私は桜をちゃんと嫌いになれる。  彼女はそう言って筆を動かした。僕は何も返さず最後の絵が完成していく音を聞き続ける。  きっと奥村は優しいのだろう。優しくて、不器用だ。  なんとなく嫌い。生理的に無理。そんな本能的なものじゃ自分を許せない。  絵を一枚描くのは大変だ。  それでも彼女にとっては何十枚の絵を描くことよりも、何かひとつを理由なく嫌うことのほうが苦痛なのだろう。  しんどい生き方だ。効率の悪い、無駄の多い生き方だ。僕はそう思ってしまうけど。  同時に、とても真摯な生き方だとも思う。 「奥村」 「なに?」  僕はキャンバスから目を離さない彼女の横顔を見た。  その目はきっと誰よりも理性的に桜を映している。 「おつかれさま」 「まだできてないよ」  彼女は小さく笑った。僕も少し笑って、それからまた静けさに浸る。  この沈黙は気まずいものじゃない。  彼女は絵を描くことに集中して、僕は彼女の美しい生き方を眺めていられるからだ。
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