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 語り終えてから、彼女は自分の背後の壁に立てかけてあるキャンバスに触れた。一枚一枚ページを捲るように、自分の作品を確認していく。  しばらくそうしてから奥村は目的のものを見つけたらしく、一枚のキャンバスを引き抜いた。 「それと、もうひとつわかったことがあるの」 「もうひとつ?」 「うん」  奥村は引き抜いたキャンバスを彼女は左の棚に立てかけた。こつん、と音がする。  その作品は、彼女が一番初めに描いた桜だった。  ちょうど一年前、僕と奥村が初めて出会ったときの桜。薄灰色の靄を背景にして立つ桜の絵はどこか陰鬱として重たい印象だ。  僕はそれに違和感を覚えた。あの日の桜は、僕にはひどく眩しく輝いているように見えたから。 「一年間いろんな桜を見てきて、今日同じ季節の桜を描き終わって、私は気付いたの」  次々と今まで描いた作品を彼女は並べていく。時系列順に並んだ桜の絵はまるで映画のフィルムのようだ。  春に花が開き、夏が来れば葉だけが残り、秋が深まり葉が落ちて、冬には裸の枝に霜を乗せ、そしてまた枝先に蕾が生まれ、無数の花が咲き誇り春を迎える。  桜の一年間を収めたドキュメンタリー。 「桜はね、死んでないんだ。花が散れば終わりだと思ってた。でも違った。蕾だけの桜も、葉っぱだけの桜も、枝だけの桜も、全部生きてた。ずっと見てきたからわかる」  桜が散るのは死ではない。彼女はそう言った。  季節が変われど、形が変われど、色が変われど、桜はいつでも必死に生きている。  そして何度でもあの可憐で艶やかな花を咲かせるのだ。 「だから私、もうかわいそうなんて思わないよ」  ずらりと過去の作品を並べきってから、奥村はイーゼルに乗せたままだった完成したばかりの作品を僕に向けた。  透き通るような青空を背景にして、燦燦と降り注ぐ陽光を一身に受け止めて。  自らを誇るように花を咲かす桜の木がそこにはあった。 「綺麗だよね、桜って」  何億回とも知れず桜を見つめ続けてきた彼女は、その瞳を隠すようにして微笑んだ。
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