2.てんちゃん

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2.てんちゃん

 てんちゃんと初めて会ったとき、エマはまだ三つだった。  だからその当時のことはあまり覚えていない。  けれどママの姉というてんちゃんが、ママとは違ってパンツスーツがこれでもかというほど似合う人で、長い黒髪を隙なくアップに結い上げ背筋を伸ばして颯爽といつも歩く人、という印象だけはそのころからずっとあった。  キャリアウーマンってやつよ、とママはてんちゃんを簡単に説明したけれど、キャリアウーマンってやつはみんなあれほど強いものか、と思うくらい、てんちゃんは強い人だった。  ママのパパ、つまりエマにとってのおじいちゃんが亡くなったときもママは美術の授業終わりのパレットみたいに顔がメイクでぐちゃぐちゃになるほど泣いていたのに対し、てんちゃんは一度もパレットに触れたこともない絵筆みたいにしゅっとしたままで涙一つ零すことはなかった。  でもてんちゃんが冷たい人ではないことをエマは知っている。  年に数度しか会えないけれど、てんちゃんはいつだってエマの顔を正面からじっと見てくれた。常に一緒にいる両親ですら忙しくてエマの話をちゃんと聞いてくれないのに、てんちゃんはエマが電話を掛けると時差があろうと嫌がらずに話を聞いてくれたし日本にいるときは、エマの顔を見に来たよ、と笑ってしょっちゅう遊びに来てくれた。  ママですら知らないエマが初めて告白された相手をてんちゃんは知っているし、パパよりも勇敢でスズメバチにも動じないてんちゃんをエマはヒーローだと思っていた。  叔母、という肩書でてんちゃんを語ることを嫌だなと思ったのがいつからだったか、エマは覚えていない。  気が付いたら、てんちゃんのいない日常より、てんちゃんが来てくれるわずかな日々だけでエマの中の一年が構成されるようになっていた。  けれどそう思わせた原因はてんちゃんにもあるとエマは思っている。 「エマとのデート、すっごく楽しみ」  てんちゃんはエマと出かけることをいつもデート、と言った。 「てんちゃん、それおかしいよ」 「おかしいってなにが?」 「だからデートっていうやつ。普通それってカップルでどこか行くことを言うんじゃないの?」  本当はデートと言われて嬉しいくせにエマはあえてそう言った。そうだよねえ、とてんちゃんに同意されて、じゃあデートって言うのやめるね、とはっきり言われ自分の思いを終わりにしたい、絶対その方がいいはず、と思う気持ちが働いたためだった。  エマにとっててんちゃんは特別だった。  だが、それは周りから見たらおかしなものでしかないことをエマは知っていた。  てんちゃんのことを幼馴染のユウリに思い切って打ち明けたとき、ユウリは絶句したあとこうまくし立てた。 「いや、わからなくはないよ? エマのおばさん、めっちゃ美人だしかっこいいし、私も憧れる。でもさあ、しょせんおばさんじゃん。おばさんいくつよ、歳」 「ええと……ママより三つ上とか言ってたから……四十三?」 「いやいや! あり得ないでしょ! 大体さあ、好きになったって結局おばさんからしたら姪っ子なわけだし。しんどいだけじゃん。そもそもさあ、それって本当に恋?」    ユウリに悪気がないことはわかっている。彼女は彼女なりにエマを心配しての言葉だったのだろうことも。けれど、恋?と聞かれてエマははっきりと思ったのだ。  ユウリ、あんたこそ恋を知っているの?と。  同じクラスの男の子と手つないで、アイス食べて? 遊園地、映画、水族館行って? お揃いのぬいぐるみ買って? ねえ、それって私とてんちゃんがしていることとなにが違うの?   私はてんちゃんといるとずっとどきどきする。てんちゃんが私の傍で笑ってくれるとそれだけでなんだかほわっとなる。  ユウリはさ、出かけたこととか楽しかったことばっかり私に話すけれど、私はてんちゃんの体温が感じられたそのときこそてんちゃんを好きって感じる。  それってあんたが言う恋とどう違うの?    そう言い返したかった。でもユウリの言うことも確かにその通りだと思う気持ちだってエマにもあった。  ユウリと同級生の男の子のカップルの方が普通で多分、正しいってやつなんだと。だって自分とてんちゃんみたいな関係をエマ自身、自分以外知らないのだから。  だからエマはてんちゃんと距離を取ろうとも試みてきたのだ。その一つがデート発言に対するエマからの苦言だった。  だが、てんちゃんはけろりとして言うのだ。 「デートってさ、もともとは日付、『date』が元になってるって話知ってる?」 「日付のdate?」 「そう。それをあえてこうして一緒に出掛けることにあてた。それってさ、その日が特別ってことよね」 「まあ、そう、そうかな」  頭の中でdateの文字を思い浮かべながらもそもそと頷いたエマはそこで飛び上がった。てんちゃんの細い指によって丁寧に前髪を上げられたために。 「え、ちょっと、てんちゃん?」  あんまり前髪を上げた顔は自分でも好きじゃない。慌てたエマにお構いなく、てんちゃんはエマの顔をしげしげと見つめてから、すいと身を屈めた。  てんちゃんの柔らかい唇がエマの額に触れていた。  自分を包む金木犀の香りに息を止めたエマの額から唇を離し、てんちゃんは笑った。 「エマは私にとって特別。だからデートで良くない?」  てんちゃんにとっての特別。  その言葉が嬉しくて。嬉しくて。  その夜は眠れなかった。  でもエマは知らなかったのだ。特別というその言葉の意味が人によって全然違う、ということを。
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