悲しみの桜、なにゆえに咲く

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「その子、死んでしまったの。私の目の前で。ここに車が突っ込んできてね。一瞬だった。 その子が死んだのも、こんなふうに桜舞い散る午後だったのよ。なんであんないい子が死ななければならないの?」  大津麦さんは桜の木を見上げると、突然 「私は桜が大っ嫌いなのよ!」  と叫んだ。 知っている。そのはなしも何度も聞いた。 けれどひとつ、大津麦さんが考え違いをしていることがある。 演劇部員だった、その足の悪い子は死んでない。交通事故にも遭っていない。 大津麦さんはここで五十年も生徒を見てきたのだ。どこかで記憶と記憶が結びついてしまったのだと思う。恵麻にはわかる。 なぜなら、恵麻がその足の悪い演劇部員の生徒だったからだ。 大津麦さんには悪いけど、誰かに担当を替わってもらおう。これ以上自分の死んだはなしを聞かされるなんてうんざりだ。 「大津麦さん、もう帰りましょう」  恵麻は大津麦さんに優しく声を掛けた。 桜並木をあとにするときに、桜なんて大っ嫌いだと改めて思った。 恵麻は足を引きずりながら、車椅子を押して行く。強い風が吹き、花びらが一層激しく乱舞した。 〈おしまい〉
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