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「泡沫の魚」
はじめて貴女を見た時は、私と同じように唇をはくはくと開けたり閉じたりしていたので、仲間なのだと思いました。
けれど水面へ向かうあぶくの大きさが不揃いで、あまりに量が多いので、種類は別なのかもしれない、などと呆けたことを考えながら、美しく広がる海鳥の飛び立つ影のように揺らめく黒髪に見惚れていました。
ゆっくりと沈んで私の元へとやってくる、貴女を。
その全てを、これから覚えて行くのだと逸る心は、一刻の間でしたが確かに恋でした。
波に薄まる太陽の光。
その方向へと伸ばされたしなやかな腕から、力が、命が、抜け落ちる直前だったでしょうか。
細かな珠だけが、肺で砕かれてほろほろと口元を滑り出て行くその様を間近で認めて、やっとで私は、貴女が酸素を求めて苦しんでいるのだと察することが出来たのです。
私の胸は、辿り損ねたもう一つの行く末を想い切なさに押し潰されて、雫を垂らしてひとりぼっちだった世界を汚しました。
鱗を光らせ貴方の周りをくるりと水かきで数度海を引き寄せれば、どのような風貌の女性だったのかくらいはこの目に焼き付けられましょう。
健康的に日に焼かれた橙色の肌は、塞がれた瞼の内側でみずみずしく腫れて行く眼球の色は黒なのではないかと想像させてくれました。
じんじんと痺れているであろう曇った唇はもう動いていないけれど、指先から生える長く鋭い爪で一撫で触れると赤い線が現れころりと血液が立ち昇りました。
貴女の分厚い瞳の窓がふるりと震えたので、私は「どちらにしようかな、かみさまのいうとおり」と、歌うように泣いたのです。
この、何かを選ぶ時の歌は、土地によって後半の文章が違っていたりするのだと、遠い昔に会った海亀が教えてくれました。
私が知っているのは「てっぽう、うって、ばんばんばん、あべべのべ」でした。
恋をしたら、それがどのくらいの間であろうと、関係はありません。
どちらかしかないのです、私たちはそう言う生き物でした。
「まだ会って間もない貴女、大好きよ。お喋りをして、貴女の知っているかみさまのいうとおり、を聞いてみたかったわ」
私は、赤い煙で海水を染める貴女の唇に口づける。
まるで生き写しのような彼女と揃いの風貌から、大きな魚へと姿を変える。
せっかく、会えたのに。
ううん、やっと会えたね。
嬉しかった、会いたかったの、ずっと貴女だけに焦がれて生きて来たのだわ。
この数百年は、この時の為にあったのだと、最後の言葉を残しました。
貴女ハ、ワタシノセビレヲ折ッテ、背中ニ爪先ヲ立テルト、力強ク蹴リツケル。
フワリト浮カンダソノ身体ハマルデ、先ホドマデノワタシノヨウデ。
見惚レテイマシタ。
愛ヲ知ッタ、異形ノ海ノ魚ハ、泡沫ヘト溶ケ出シテ、息ヲワスレテ弾ケル。
貴女ニ会エテ良カッタ。
ワタシハ、貴女の箱舟。
文章/イラスト・うた子
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