子犬

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 僕がこの家の住人になって数日が経ったある日のことだった。  お爺さんは縁側で日向ぼっこをしながら、膝の上の僕の頭を撫で、いった。 「あの時、助けられんかった子犬、いたじゃろう。あの子な、ワシが埋めてやったんじゃ」  忘れるものか。僕は今日この時まで片時もあの子犬の顔を忘れたことは無かった。今でも悔しさに胸が熱くなる想いだ。でも、そうか、やっぱりダメだったんだ。 「ほれ、あっこ。あっこ見てみい」  お爺さんが指さした。桜の木だ。 「あの根本に埋めたんじゃ」  木の根本の土がこんもり盛り上がっている。墓標代わりに刺してある木の棒が淋しげだ。と、僕はその時、気付いてしまった。 「もうすぐ桜の季節じゃの。可愛らしい蕾が沢山ついとる」  桜の木の枝に無数の蕾がついている。薄っすら桃色に色付き、ぷっくりと膨らんでいる。明日、明後日には開花しそうだ。だけど僕にはそんな物に見惚れる余裕は無かった。思わず目を見開く。もう、そこから視線を外せない。 「今年の桜は綺麗に咲くじゃろうて。あの子がな、綺麗に咲かせてくれるはずじゃ。あの子犬の魂はこの桜の木に宿って、いつまでもワシらを見守ってくれるじゃろうて」  桜の木に宿って見守る。それは半分正解で半分不正解だ。  木の幹の木目、見間違いじゃない。片目の潰れたあの子の顔が浮かび上がっている。その瞳は暗く、恨めしく、僕を睨んでいる。  風が吹いた。葉と葉が擦れて木がざわめいた。お爺さんには聴こえてないみたいだが、僕にはざわめきがあの子の声となって聞こえた。はっきりと僕に語りかけたんだ。  どうして助けてくれなかったの。どうしてあなただけが幸せそうにしているの。
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