捨てられない自尊心

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捨てられない自尊心

「パラなんですよね?」  その確認が嫌だった。八年も猶予がありながら、まだ司法試験に合格できないの、とバカにされている気がして。事実、ほとんどの言葉にはそんな揶揄が含まれていたように思う。  その確認が嫌じゃなかったのは、たったの一回だけだった。 「パラなんですよね? 俺もです。よろしくお願いします」  高校には通わず、高卒認定を取っただけの新山咲夜という少年。まだ十代の顔には幼さが残っている。  新山が実はすでに司法試験をクリアしていたことも、のちの上司となることも、このときは知らなかった。随分若い子が入ったな、と五歳下に抱くにはオッサンじみた感慨しか湧かなかった。ただ、笑うと左頬にできる笑窪に愛らしさを感じていて、志津は保護者のような気分で先輩になった。 「三島くん、これってどこにしまうんですか?」 「それは資料庫の本棚です。入って右側の棚の、一番左奥の、上から二段目に。あとで私も行くので、一緒に行きましょうか」 「お願いします」  一応弁護士の資格はもっていると聞いたあとも、他の弁護士たちの手前「先生」と呼ぶことはできず、お互い「くん」付けで呼び合っていた。 「三島くん、コーヒーいります?」 「いただきます。ありがとうございます」  先輩だからということもあったのだろうが、新山は志津を他よりも特別気づかってくれていた。弁護士助手をお茶くみ扱いする人間もいるなかで、資格があるからと驕ることなく接してくれていた。パラリーガル同士でもここまでの気づかいを感じたことはなかった。  だから新山が独立すると言ったとき、志津もついて行くことにした。表面上は礼儀正しく、内心は他の弁護士に舌を出す気分だった。「お前らよりも新人の新山を選ぶんだ、せいぜい後悔しろよ」とあざ笑う気持ちだった。それなりに規模の大きい事務所なだけあってパラリーガルも山ほどいたが、なかでも志津は優秀だった。所長を含め大勢の引き止めにあったが、志津は聞かなかった。 「三島くんとは、いつか腹を割って話したいな」  新山には当時そう言われたが、なんのことかはさっぱりわからなかった。  二人で開業し、その数年後に新山がひとり知り合いだという弁護士を連れてきて、募集を見たパラリーガルが入ってきて、としているうちに、新山との付き合いは十年を超えていた。樫木という弁護士が入ってきた時点で新山からの敬語はなくなったが、態度は大きく変わらず、時間があればコーヒーを淹れてくれていた。多忙ではあるが、満足していた。仕事面では。 (あの台詞、もしかして自分の性格のことを指してたのかもしれないな)  そう思うようになったのは最近だ。堅物と言われるほど丁寧な外面を保つための努力を、新山は察していたのではないだろうか。日が経つごとに、そう思えて仕方がなかった。  当時は意味がわからなかったあの言葉。だが新山は、自分を心から応援するためについてきてくれたのではない、と勘づいていたのではないだろうか。他の弁護士になじられ続けたプライドを守るためだと、あの頃から察していたのではないだろうか。  堂々と浮気されるごとに蓄積していく鬱屈とした感情を誰にも相談できずに抱え込んでいたのも、紛れもなく志津のプライドの高さゆえだ。 (だとしたら……相当遊ばれてることになるよな)  今の職場環境には満足しているが、いかんせん身近な二人に遊ばれていると考えれば、有名事務所から出てすら守りたかったプライドを長い年月やすりがけされていた気分になった。
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