2.子供時代の記憶

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 母は私がまだ三歳の時亡くなった。交通事故だったという。父は実家に頼りつつ私を育ててくれた。父には心から感謝している。だがそんな父にもひとつだけ困った点があった。何かにのめりこむと周りが見えなくなってしまうのだ。再婚を決めた時もそうだった。皆の反対を押し切り一緒になったのは栗色の長い髪をくるくる巻いた理沙という女。彼女は何と父よりも二十歳も年下でキャバクラで知り合ったのだという。私が小学四年生の時だった。誰もが金目当てだと思い婉曲的に、時には直接的にそう指摘したのだが父は「彼女は気の毒な女性なんだ。僕が助けてやらないと」と聞く耳を持たなかった。会社の要職にある父はそれなりに羽振りもよく格好の獲物だったのだろう。まんまと妻の座に収まった理沙は最初のうちこそ猫を被っていたもののすぐにその化けの皮は剥がれた。ただ彼女は狡猾で父の前では従順な妻を装い父のいない場でだけ本性を現すのだった。 「あんた、ほんっとトロいねぇ。うっとぉしいから部屋から出てくんなよ」  私の顔を見る度に罵倒してきたが私自身は何を言われても平気だった。初めて会った瞬間からこの女はそういう人種であろうと見抜いていたし。それが余計に面白くなかったようで、彼女が私を見る時の目はひどく冷たいものだった。子供の頃から病弱で体も小さかった私はあの女からしたらまだほんの子供に思えたのだろう。私がいても平気で他の男と電話して嬌声を上げていた。 「お父さんに余分なこと言うんじゃないよ」  たまにそんなことを言って睨みつけてきたが言われなくても告げ口なんてするつもりはなかった。どうせうまいこと言い訳するのはわかっていたし、それに何より彼女のことを信じ切っている父が可哀想だったから。父はまだ若いのだからと彼女が友達と飲みに行ったり旅行に行ったりするのも許していた。どんな〝友達〟だったのかは知る由もないが。そんな父が唯一理沙に守らせていたので結婚指輪をはめていること。なぜかはわからないが父はそのことにだけは執着していて一度理沙が風呂上りに指輪を洗面所に置きっぱなしにしていたのを見つけた時はびっくりするほど大きな声で怒鳴っていた。初めて見る父の一面に驚いた私はしばらくの間父と話すのが怖かったのを覚えている。
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