宇佐原氏の幸福

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 「さて、次は朝のサラダの準備だ」  壁時計を見ればまだ朝の十時、まだ昼飯時にもなってないのに、明日の朝に食べるサラダの下ごしらえだ。  今度は酢醤油卵を調理する。  調理と言っても男の料理だ。たいして手間がいるもんじゃない。まず卵を茹でて、殻をむき、醤油を大匙で二杯。酢を大匙で一杯、そして小さじで砂糖を入れておく。その汁に殻をむいた卵を浸して冷蔵庫で一晩漬けこむ。これをサラダと共に食べるのさ。  もちろん、ドレッシングは自家製で酢卵を調味料として利用する。  三十分でこの作業を終えた俺は懐かしの80年代ポップス全集と書かれたCDを小棚から出すと、ステレオの電源を入れた。  いつものように深々と長椅子に腰を下ろして、ひと休みだ。  若い頃の音楽を聴きながら、しばし思い出に慕ったら、あとは風呂場の掃除をしなくちゃならない。  今夜は湯船に浸かり、懐メロを口ずさむ。  ふと、(あ! ヤバい! これも最近では贅沢な時間になるんだろうか)と、気がついた途端、リビングに備えられた警報装置が鳴りだし、ささやかな幸福の時間も夢と消えた。  これが三回鳴ると、《EGG》の捜査員がやってくる。  平等基本厳守法により政府から独立した特殊機関、『EQUAL・GUARD・GROUP 』通称、《EGG》が発足してから、世の中はこのありさまになっている。  裁判なしで、刑罰を与える権限を国から認められた情け無用の連中だ。  「やっぱりだ!」  俺は溜息をついた。必要以上に幸福感を感じると、各々の家庭に備え付けられた監視カメラのセンサーが反応して幸福税が加算される。  乏しい者だって容赦しない。年収以上に幸福を感じると、金じゃなく寿命に加算して、《寿命回収装置》で体内から、寿命年数に重要な染色体のテロメアを奪っていく。  平等警備局では、そうやって回収した《資産》や《寿命》を国家に貢献度が高いとされる人々に《平等》に分配していく。  つまり官僚、政治家、その家族の資産や寿命を増やすのに使われるわけさ。  思えば国民の背番号制が、このはじまりだった。  「国の予算を増やすには、まず広く浅く、そして平等な税が必要です」なんて竹蔵(たけくら)とかいうアホな経済学者が提案した税法で、宣伝文句は《無駄な争いが起きないように幸福を平等に分配して、いかなる不正も許さない》だ。    思えば投票率がすべてだったという事に民衆は早く気付くべきだった! いくら悔やんでも悔やみきれないよ! 議席数の過半数独占した与党は、憲法改正以外はどんなに歪んだ解釈での法案でも通せたんだ。  きれいごとで発足した新制度だが、蓋をあければ徹底的に富裕層が個人を管理して命さえ搾取する悪夢のような税法だった。  《いかなる幸福も政府の努力の賜物》といった屁理屈で、国民を奴隷化する吸血鬼じゃないか。それからというもの人々はできるだけ幸福を感じないように自分の時間を削り、労働の日数を増やす事に熱中し始めた。こうしておけば幸福を感じられないのだから、このシステムは絵に描いた餅になり、そのうち機能しなくなる。誰も等しく幸福にならないのだから、制度として崩壊するはずだ。選挙で与党を追い込み、EGGを解散させる事だって夢じゃない。そうでないと寿命を縮められて貧困層は三十代からおじいさんだ。  「早くEGGを壊さにゃ!」  とにかく、この頭の上に覆いかぶさった殻を割らないと国民は窒息してしまう。もっとも、この国が独裁国家じゃなく、民主国家ならば労働時間を故意に増やすのは有効かもしれないが、国家非常事態法で総理の権限が集中する事態になれば話は変わる。  非常事態法とは他国との戦争が起きた時に閣議決定なしで、特別政府を発足する事ができ、召集令状の発行も自由にできるようになる。つまり野党との議論などしなくていいし、参議院のチェックもスルー出来る。  手遅れにならなければいいが……。そうなれば本当に自由は失われてしまう。  「さてと、がんばるか……」  そう、呟きながら俺は求人情報のページを開いた。              了
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