3 直哉の弱み

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 美術室には既に何人かの生徒がいてそれぞれ活動を開始していた。その中には浅岡麗奈の姿もある。  麗奈は前と同じように美術室の隅の方で絵を描いており、相変わらず他者を寄せ付けない雰囲気を放っていた。  以前は彼女の周囲に影のような物が漂っていたが、今は見当たらない。 「こんにちは、浅岡さん」 「……どうも」  彼女は一言だけ返したあと、興味なさげに手元へと目を落とす。 「何を描いているの?」  直哉はキャンバスを覗き込みながら尋ねる。  どうやら風景画のようだ。学校の近くにある山の景色が描かれている。 「上手いね」  直哉は率直な感想を述べる。 「ありがとう」  麗奈は淡々と答えた。  そこで話は途切れ、沈黙が訪れる。  さてどうしたものかと直哉は頭を悩ませる。人付き合いは得意な方だが、ここまで壁を感じさせられる相手と会話をするのはなかなか難しいものだ。 「桐島くんは、どうして陸上部を辞めたの?」  次の話題を考えていると、意外にも麗奈の方から話を振ってきた。 「……意外だなぁ、浅岡さんが僕に興味を持ってくれるなんて思わなかった。ひょっとしたら嫌われているかもと思っていたから」 「別に嫌いなんてことないよ。クラスだって違うし、桐島くんについて知っていることはほとんどないから」 「それもそっか。でも嬉しいよ。こうして話してくれるんだもん」 「それで、なんで辞めちゃったの? 桐島くん、陸上部ですごく期待されていたんでしょ」 「まあ……ね」  直哉は言葉を濁す。  麗奈の言う通り、直哉は部活内ではかなりの実力者として期待されており、大会に出れば必ず上位入賞を果たしていたくらいだ。 「言いづらい事情があってさ」  直哉は困り顔で俯いた。  別に部活で嫌なことがあったわけではない。むしろ居心地が良いくらいで、直哉自身も心から楽しんでいた。  それでも辞めたのは、あの男のせいだった。 (先生……)  直哉は橘のことを思い浮かべる。  橘が直哉に対して妙な執着を見せるようになったのは、いつからだろう。  初めは肩を叩いたり、軽く触れたりする程度だった。そこに含まれている意図に気が付くまで時間はかからなかった。  最初は戸惑ったけれど、嫌悪感はなく……むしろ嬉しかったくらいだ。  幼い頃から両親は仕事で忙しくて、妹と二人きりで過ごす時間が長かった。だから、年上の男性に甘えたいという気持ちもあったのかもしれない。  橘とは同性だったし、そもそも教師と生徒の関係だ。不道徳なことだと理解していたが、直哉は拒まなかった。  でもそれが間違いだった。 「……桐島くん?」  麗奈が首を傾げて、こちらの顔を覗き込んでくる。 「どうしたの? なんだか顔色が悪いみたい」 「あ……いや。絵の具の匂いのせいかも。普段は気にならないんだけどね」  直哉は慌てて取り繕う。 「僕、帰るね。なんだか調子が悪くてさ」 「大丈夫?」 「うん、平気。心配してくれてありがとう」  直哉はそう言って笑うと荷物をまとめて美術室を後にする。  部室を出る時、美鈴が意外そうに目を丸くしていた。 「桐島、どうしたの?」  美鈴が尋ねてきたが、直哉は振り返ることなく足早に廊下を進んで行った。
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