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けれども、僕はすぐにそんな余計な心配を振り払って苦笑した。
「通行人A」の僕がそんなことを考える必要はない。ただプリントを渡して、いつもの透明人間の日々に戻れば良いのだ。彼女がなぜ不登校なのかは知らないが、友達ですらない僕が関われば、問題を余計悪化させるだけなのだから。
ここは「シレっと素通りする」の一択。
僕はそんなことを考えながら、マンションの七階にある胡桃沢さんの家のインターフォンを鳴らした。しばらくして、ドアの向こうに人の気配を感じる。
「胡桃沢さんと同じクラスの氷川です。プリント渡しに来ました」
すると、恐る恐るといった様子で細くドアが開いた。胡桃沢さんだった。
「氷川君、ありがとう」
か細い声でそう言った胡桃沢さんは思ったよりまともだった。長い黒髪も整えられていたし、きめ細やかな白い肌も荒れていない。目も不登校中なのが後ろめたいせいか、僕に怯えているようではあったけど、充血したり、くまができたりしていなかった。
『北中』と刺繍された中学時代のジャージを腕まくりして着ていて、開いたジッパーから体育着みたいな白いTシャツがのぞいている。
……想像していたより元気そうじゃないか。これなら、心配いらないな。
僕がそう安堵してプリントをカバンから取り出そうとしたとき、胡桃沢さんの背後から鳴き声が響いた。
「ミャー」
僕は思わずプリントをつかんだ手を止めてしまった。胡桃沢さんに視線を向けると、顔が真っ青になっている。
しばらく二人で見つめ合った後、胡桃沢さんがかすれた声を出した。
「……氷川君。今聞こえたよね?」
「いや……何も」
このマンションはペット禁止なのだ。関われば面倒なことになると思った僕はそうしらを切ろうとした。
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