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すると、由佳ちゃんは目を伏せ、いつもとは違う固い口調で言った。
「胡桃沢さんは転校しました」
「どこの学校ですか?」
「教えられません。個人情報です」
「個人情報って……このままもう会えないんですか?」
「本人がクラスの皆に会うことを望みませんでした」
「そんな……」
「ホームルーム始まりますよ。教室に行って下さい」
由佳ちゃんはくるりと椅子を回してパソコンに顔を向けてしまった。
僕は職員室を出ると、スマホを取り出して家に電話をかけた。スマホの校内での使用は禁止されている。堂々と職員室の前で電話をかける僕に、廊下にいた生徒たちの視線が集中した。
「母さん! 七階の胡桃沢さんのこと何か聞いてない?」
僕は母親の言葉を聞くと、スマホを握っていた手を力なく下ろした。胡桃沢さんは先月引っ越していたのだ。母親はそれを聞き知っていたが、入試期間中の息子のメンタルを気遣って、僕の耳には入れなかった。
なぜ僕が公園の桜の木の相合傘を見て、職員室に直行したのか? それは幹に描かれている他の相合傘とは異なり、僕と胡桃沢さんの相合傘のてっぺんにだけ、恋の成就を示す桜の花がなかったからだ。
引っ越す前に胡桃沢さんは桜の木を訪れ、彼女の名前を見つけたのだとすぐにわかった。きっと僕が相合傘を書いたことを悟ったに違いない。胡桃沢さんも同じ気持ちだったけど、二度と僕と会う気はなかったのだろう。それで、僕の名前だけ刻んで、恋が実った証である桜の花は刻まなかったのだ。
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