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高校時代の僕はとても地味だった。黒縁メガネに趣味は読書で、背を丸めて歩き、口数も少ない。クラスの皆が盛り上がっている様子をいつもその輪の外から文庫本越しに見つめている……そんな目立たない生徒だ。
特に嫌われることもない代わりに、特に好かれることもなかった。一言で言うと影が薄い。透明人間にみたいに、誰も僕がいることに気づいていないんじゃないかな? と思うこともしばしば。たとえば、文化祭の準備をサボって教室を抜け出しても、誰も気が付かない。他にはプリントが僕の分だけないとかもよくあった。
でも、そういう自分に不満を感じることもまたなかった。舞台上でのスポットライトは浴びたい人が浴びればいい。他人からの注目を面倒に感じる人間がいたって別に良いはずだ。
そんな高校時代の僕のあだ名は「通行人A」だった。クラスの誰からも意識されない生徒。それが僕だ。
だから、高校のすぐそばにある公園の桜の巨木の伝説ともまったく無縁だった。
その桜の幹に好きな生徒との相合い傘を書くと、恋が叶うという噂が学校創立当初からあったそうだ。桜の木に落書きなんて普通は許されないけど、この木だけは例外だった。それで、自分の好きな相手が全校生徒にバレてしまうとわかっていても、歴代の恋わずらいの生徒たちが幹に相合い傘を書き込んでいた。
相合傘に名前を書き込まれた相手は告白を受け入れるなら、傘のてっぺんに桜の花を描くのが習わしだった。
ある日、担任教師から僕は職員室に呼び出された。何も注意を受ける覚えはなかったから動揺もしなかった。きっとまた配り忘れたプリントを渡されるだけだろう、と。
けれども、結果として僕は動揺することになった。
職員室のドアを開けると、担任教師の由佳ちゃんが困ったような表情を浮かべてパソコンからこちらに顔を向ける。
「氷川君、いらっしゃい。頼みたいことがあるの。このプリントを胡桃沢さんに持って行ってあげてくれない?」
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