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何度もこちらを振り返って手を振りながら、少年は夜闇に紛れるように漆黒の鴉に姿を変えて飛び立っていった。
その姿を見えなくなるまで見送ってから、お店の扉にかかったプレートを『close』に変える。
「オムライスに大満足の様子で、良かったです」
「とても美味しそうに頬張りながら、食べていましたね」
高い能力を持つ聡明な冠付きの死神ではあるけれど、口の周りにケチャップをつけ、夢中で食べている姿は子供らしくて可愛かったと死神はほっこりする。
「それにしても、死神さん。今日は、とても長い夜でしたね」
「はい。とても長くて、深いご縁を感じた夜でした」
「そうだ、死神さん。これを渡し忘れていました。本当は雇用契約を交わした時に渡そうと思っていたんです」
「なんですか?」
死神の手のひらに、黒猫のキーホルダーがついた鍵が乗せられた。帳の手には、コーヒーカップのキーホルダーがついた同じ鍵が握られている。
「我々の自宅の鍵です」
死神はそれを見つめて微笑んだ。
この世界に、本当に自分の帰る場所が出来た。
「奇跡みたいだ」
思わず口を出た死神のつぶやきに、帳が同じように微笑みながら問い掛けてきた。
「死神さん、知っていますか?」
「何をです?」
視線を鍵から帳へと移す。
「人生には、二つの道しかないそうです」
「え?」
「一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。そしてもう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きること」
有名な偉人の名言です。僕も最近知りました。と、言葉の最後に帳がそう付け足した。
「だとすれば、自分がそうだと信じれば、日常の全てが奇跡になるという事ですよね?」
「その言葉を信じるのなら、そういう事になりますね。どちらの道を選ぶかは、自分次第だそうですよ」
死神は自分の足元を見つめる。
そして、一歩前へと踏み出しながら、全てが奇跡だと思える道を進んで行きたいと思った。
「さて、死神さん。我が家に帰りましょうか」
「はい! 帳さん、我が家に帰りましょう」
お店の外に出る。
扉についたカウベルの独特な音色が、静かな夜の街に小さく響いた。
死神は思う。
このカウベルが帳珈琲店の扉についているのも、珈琲という飲み物があるのも、オムライスという食べ物があるのもきっと奇跡で、闇夜に月が浮かぶのも、再び朝がやって来るのも……。
そして死神と帳が並んで歩いている今もまた、大きな大きな、奇跡なのだと。
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人生には、二つの道しかない。
一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。
もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。
アルバート・アインシュタイン
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