1.序列最下位の趙瑛蓮

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「喬国後宮に美女三千人」と世に言われるが、実際には三百人ほどだ。皇后を頂点として貴妃、淑妃と序列と人数が決まっており、瑛蓮は最下位に位置する。  その序列に文句はない。そもそも男子なのに後宮に送られたことが間違いだと瑛蓮は言いたい。  そう、数多くの美女がいる中に少数ながら男子も存在する。「香種」と呼ばれる特別な性を持つ者だ。  香種の男女は幼少期から容姿に優れており、たいてい体が弱い。そのため幼いうちに命を落とすことが多く、数が非常に少ない。  特徴的なのは成人する頃から発香と呼ぶ現象が現れることだ。ふた月に一度、満月の時期に発熱し、体から花のようなあまい香り、香気(こうき)(フェロモン)を放つ。そして不思議なことに、万人がその香りに気づくわけではない。  ごく少数の者だけがその香気を感知する。そういう者を貴種と呼ぶ。貴種の多くは立派な体格を持ち頭脳明晰、容姿端麗で、圧倒的に支配階級に存在する。  貴種は通常では自分が貴種だとは気づかない。香種の香気に反応して初めて貴種だと知ることになる。つまり発香を通じて香種と貴種は互いを認識するのだ。  歴代の皇帝はたいていが貴種だ。そして後宮には複数の香種がいる。香種は貴種を生むことが多いからだ。  優秀な貴種は皇太子となるのがほとんどで、だから貴族たちはどこかで香種を見つけると手元に引き取って教育し、後宮に送りこむ。送りこんだ香種が気に入られればその地位は安泰だし、貴種の男子が生まれて皇太子になれば万々歳というものだ。  その中で、香種以外の后妃はせめて美貌や衣裳で皇帝の気を引きたくて、瑛蓮に刺繍を依頼する。 「もうすぐ張貴妃と延昭儀の発香期か。また皇帝がどちらを呼ぶかで争うんだろうね」  発香期は満月を挟む五日ほどだ。この時期は高確率で妊娠するので何としても皇帝に召されたいと願うものだが、貴種である皇帝は好みの香気のほうへ引き寄せられる。それは貴種の本能だ。 「あの騒動は精神的によろしくありませんわ」 「夜のお召しをめぐって、そんなに騒動になりますの?」 「もちろんですよ。それがなければ子に恵まれませんもの」  自分の栄達が一族の栄華に繋がるから、上流貴族出身の者ほど一族の期待を背負っている。満月の時期は香種しか呼ばれないので、香種以外の后妃はほかの時期は自分を呼んでもらうようにと侍従に賄賂を贈るのが常識だ。 「ちょっとお腹空いたな。何かおやつを持ってきてくれる? この前もらった月餅はまだあった?」 「ございますわ。すぐにお持ちします。青茶でよろしいでしょうか?」 「うん、お願い。二人の分も持っておいで」  江恵と見習いが下がり、瑛蓮は薄絹に咲く牡丹を眺めた。  後宮の暮らしは予想したほど大変ではなかった。何しろ序列最下位は気が楽だ。趙家との縁が切れて生活は苦しかったが誰ともつき合う必要がなく、そういう意味ではのびのびしていた。  そして現在は自力で稼ぐことができる。貧乏暮らしも平気だったが、金銭を得たことで生活は楽になった。食べ物に不自由しないし、何より助かるのは発香期の抑制薬を買えるようになったことだ。  貧乏な時はいちばん安価なもので耐えていたが、やはり高価な抑制薬は効きが違う。おかげで発香期が楽に過ごせる。熱や疼きが軽減されて寝込むことはずいぶん減った。  でも、と瑛蓮はため息をつく。  後宮に入って両親の仇を討つという目的を失ってから、何を目的に生きているのかわからない。このまま一生、外に出ることなく命を終えるんだろう。そう思うととてもやるせない。  この世は縁と銭次第とはよく言ったもので、女官や侍従に賄賂を包めばたいていのものは手に入る。その程度の自由はある。  ただし外には出られない。穏やかな牢獄にいるようなものだと思う。ここで一生を終えるのかと思うと気が遠くなる時もある。  誰かと気持ちを通じ合わせることもなく何を成すこともなく、ただただ無為に時間が過ぎるのを待って、このちいさな宮で一生を終える。  それは人としてあまりにも寂しく虚しい。  そんな生活の中で后妃たちから依頼される刺繍は、瑛蓮の慰めになった。難しい注文を受けるとやりがいがある。図案を考え、色合いや糸を工夫した自分の刺繍が評価されると、やはりうれしい。  いつか役立つかもしれないと謝礼は貯めているが、果たしてそんな日が来るだろうか?  だが考えたところで現状は変えられない。  こんな想像をしてみることもある。  天変地異でも起きて、後宮が潰れたりしないかな。それとも宣託がおりて後宮から追放してくれるとか。とはいえ後宮を出た自分が何をしたいのか、それすらも思いつかない。  あるいは誰も瑛蓮を知らない町で、ひっそりと暮らす。できれば誰か好きな相手が一緒だとうれしいけど。  もちろんただの想像で夢物語だ。香種男子で后妃の瑛蓮に好きな相手などできるわけがないし、思いを遂げることなど一生ない。  江恵が菓子と茶器をそろえてきて、瑛蓮は刺繍針を置いて椅子から立ち上がった。このくらいしか今の瑛蓮には楽しみがない。  三人で月餅を味わっていると、王宮から先触れがやって来た。勅命を携えた侍従が来ると言う。 「何だろう、勅命って?」  こんなことは初めてだ。江恵と顔を見合わせる。 「お心当たりはありませんの?」  何か失敗した? 瑛蓮はドキドキしながら考えた。王宮の侍従がわざわざ私室まで訪れるとはただ事ではない。  先触れを聞いた見習いはバタバタと部屋を片付け、江恵があわてて瑛蓮の髪と衣裳を整えた。  緊張する瑛蓮の前に厳めしい表情で立った侍従は、形ばかりの拱手の礼をした後で厳かに口を開いた。 「采女趙瑛蓮、喬国皇帝よりウェイワル族の王、アルタンの元へ公主として降嫁を命じる」 「ええ? 公主? 降嫁?」  意味を掴めず、目を瞬いている瑛蓮に構うことなく、侍従は無表情に続けた。 「ひと月の後、出発できるように準備を整えよ。王宮からの諸事は追って沙汰する」 「は?」 「ではそのように」  勅命に対して拒否することがあるわけがない。瑛蓮の返事など聞くまでもない侍従は淡々と用件を済ませると、風のように去っていった。 「え? いまウェイワル族に嫁げって言った?」  取り残された瑛蓮が呆然と問えば、江恵もぽかんとした顔で答える。 「そうおっしゃっておられました、よね?」  さっき話していたウェイワル族だよな? そこに嫁ぐ? でも公主を送るって話じゃなかったのか? いや待てよ、公主として降嫁せよって言われたよな。 「え……、本当に?」  まさに、青天の霹靂だった。  完 ぜひ最後までご覧くださいm(__)m
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