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6.ついてない
「我と王国の名において汝を新たなる王国騎士と任じる。配属はその技量を鑑み、第七騎士団とする」
国王陛下だけでなく多くの重鎮、及びこれから同格となる騎士らの前で粛々と行われる叙任の儀式。
本来であれば国家に公認された騎士が増えるのはめでたいはずなのだが、この場にあって笑みのひとつも浮かべている者はいない。
その視線に込められた感情は半々といったところだろうか。
蔑みか、あるいは憐憫か。
戦場は男のもの。女は他の騎士の家に輿入れし強い子を産み育てることこそが誉れとされるが、私にはそれを受け入れ難いある事情により、敢えて騎士の道を選んだ。
しかし周りから見れば私は聞き分けの無いわがままな娘でしかなく、ほとんどの騎士にとってはそれこそが受け入れ難いものだ。
残った好意的か同情的な人物は、逆に憐憫の眼差しを向けてくる。私は苦難の道にまだ一歩二歩と踏み入れたばかりで、ここから果てしなく続くつらい未来を思ってのことだろう。
そうでなくとも歴史上にすら数えるほどしかいない女騎士であり、挙句に配属先は最も勇猛にして最も殉職率の高い王国の先駆け第七騎士団。敵味方問わず関わる全ての者を不幸にする不運の象徴、俗称“アンラッキーセブン”なのだから。
「この命を民のため、国のため、王のために捧げることを誓います」
ともあれ私は騎士になった。
歴代数千といる騎士たちのなかでもほんの一握り、王国史上十九人目の女騎士だ。
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机上戦術運用の科目で首席だったという理由で、私は他の、つまり男の騎士たちのように兵士を率いて戦場を駆けるのではなく団長付きの秘書官に任命された。
参謀として一目置かれたのかと思いきや、日々の言動を見る限り彼は戦場に広い場所を選び正面からの撃破こそを得意とし、また騎兵の華と考えているのは明白だった。
配属されて三ヶ月、私はスケジュール管理や雑務を任される程度で意見を求められたことは一度もなかった。それどころか、そもそも彼に献策する騎士がひとりもいない。
私が新米で女騎士だという事実を考え得るだけめいいっぱい差し引いても、団長は最初から誰の献策も求めているとは思えなかった。
疎まれるように過酷な団へ配属されたにもかかわらずそこでは足手まとい扱い。
自ら選んだ道ではあったけれども、いたたまれない気持ちで日々を過ごしてきた。
だからだろうか。
自宅で身なりを整え今日も仕事に赴かねばならない憂鬱な気持ちで開いた扉の先が見慣れぬ光景であったとき、驚き、不安とともに、微かな安らぎを感じたのは。
「これは……本、棚?」
薄明りを感じる城の廊下のような空間、回廊とでも呼ぶべきだろうか。その両側には隙間なく本棚が並んでいる。王城書庫もかくやというほどに本の詰まったそれは目を凝らしても見通せない高さがあり、眼前の奥行きも暗がりに消えてしまいどれだけあるのかわからない。
そこに収まっているモノはどれも見たことがあるような、無いような、文字も読めるような、読めないような……そう、なにひとつはっきりと認識することが出来なかった。
振り返れば今もそこには自室があり、鎧戸の隙間からは朝日が差し込んでいる。幻覚を見ているわけでも寝惚けているわけでもないようだ。
この扉を閉めてもう一度開けばどうなるだろうか。あるいは鎧戸から部屋を抜け出して表に回ればそこはどうなっているのだろう。
入ることを強いられているわけではないから敢えて踏み入る理由は無い。
無いのだ、けれども。
どうしたものかと迷っていると奥の暗がりから足音が響いてきた。
「やあやあ、ここを利用したいならまずは扉を閉めてくれまいか」
現れたのは厚ぼったい異郷の衣に身を包んだ女だった。小柄で垂れ目の童顔に飴のような弦の眼鏡、見慣れぬ黒い髪は大雑把にひと括りにまとめられ、少女、という風体ではあれどふてぶてしい笑みを浮かべて彼女が続ける。
「ここは世界を問わない書物の殿堂だよ。しかし女騎士とは珍しいお客さんもあったものだ」
「書物の……?」
「そう。まあ“異世界本屋”とでもいったところかな」
異なる世界。ピンと来ないまま暫し固まっていると彼女は少し意地の悪い笑みを浮かべて私の後ろを指差す。
「扉、閉めて貰ってもいいかい?」
その言葉に操られるように「……ああ。いけないな。これは失礼しました」と呟くように言って扉を閉めると、まるで幻のように消える扉。そこで初めて自分の軽率さに気付いたがあとの祭りだ。
「くっ」
詰め所に向かう直前で帯剣していたのは幸いだった。間合いも近い、踏み込めば一撃で届く。
しかしこちらの動きをいち早く察した彼女は慌てたように両手を上げて左右に振った。
「あああ待って待ちたまえキミに危害を加えるつもりはないよ!」
「しかし実際に閉じ込められたではないですか」
「キミが望むならいつでも帰れるとも。本に興味が無いなら今すぐお帰り願っても構わないよ!?」
彼女の表情をじっと見つめる。胡散臭い半笑いを浮かべているけれども、とはいえ嘘を吐いている様子でもなさそうだ。
「いいでしょう。貴女の言葉を信じます」
剣を納めると彼女はほっと息を吐いて奥を指差した。
「ご理解いただけたようでなによりだよ。まあこちらへどうぞ」
促されるまま後ろをついていくとどこから照らされているとも限らない明りもついてくる。不思議な空間だ。と思っているうちに、回廊の真ん中に二脚の椅子と丸いティーテーブルが現れた。彼女は向かいの席に先に腰を下ろし、私も勧められて着席する。
「ところで“異世界”と言っていましたが、それはなんですか? 魔大陸のようなものですか?」
「魔大陸……まあ普段キミの住む世界と違うという意味では似たり寄ったりかな? この回廊、本屋自体がひとつの世界なんだ。ここより外というものは無い。空も海も大地も無い」
「それは……なんとも窮屈な世界ですね。生活には困らないのですか?」
「なんとでもなるよ。ティーテーブルが出て来たり扉が消えたりするみたいにね」
「そう、ですか」
彼女の身なりは不潔ではないし目に見える限り健康そうだ。ひとりでこんなところに閉じこもっていたら気が滅入りそうだと思わなくもないが、それを苦にしないのが彼女の性分なのだろう。
「住めば都、むしろ居心地が良いくらいだよ。私の話はこれくらいにしておいて、どうだろう、この機会に一冊いかがかな?」
「うぅん。一冊と言われても……読書は嫌いではないのですが最近は読む暇もなくて」
「それはいけないな。仕事が忙しいのかい?」
「いや、そういうわけでも……」
忙しいかといわれると、それほどでもない。むしろ手持ち無沙汰ですらある。
「……ないのです、が」
読む暇がない。
違う。
読む余裕が、心のゆとりが無いのだ。
じわりと涙が滲んでくる。いけない、見ず知らずのひとの前で、騎士ともあろうものが……。
けれども堰を切ってしまった涙は押し止めようもなかった。俯いて自分でもわけがわからないままに嗚咽を漏らしだした私を、彼女はなにも言わず黙って待ってくれている。
どれほど経ったろうか、どうにか落ち着いてきた頃合いを見計らったように彼女がハンカチを差し出してきた。私はなにも言わずにそれを受け取って目元を拭う。
「情けないところをお見せしました。面目ない……」
その言葉に彼女はくつくつと笑って首を横に振る。
「構いやしないさ。他に見ている者があるわけでもなし、時間はいくらでもある身なのでね。とはいえ、少々お疲れなのかな。人間関係かい?」
「ええ、まあ……ありていに言えば職場で干されていまして」
なんとなく空気に流されるように私はとつとつと身の上を語り始めた。
我が国での騎士は特権階級だが、家から後継者がいなくなれば階級はその代で剥奪されること。
男兄弟のなかった私は絶対的な男社会だと知りながらも家名を残す為に敢えて騎士の道を選んだこと。
殉職率の高い苛烈な団へ配属され、しかし足手まといとして部下ひとり与えられず団長のスケジュール管理や雑務ばかりさせられていること。
周囲の視線が冷たくいたたまれない日々を送っていること。
「しかし辞めるわけにもいかず、だんだん詰め所へ向かう足も重くなってしまい……」
「なるほどね。やはりそういうのはどこの世界でもあるものなのだね」
「どこの世界でも?」
「私だってここで生まれ育ったわけではないよ。そして私の生まれた世界も女は家を守るもの、男を立てるものって感じで結構堅苦しかった。まあ私は図太いから? ロクな才も無い分際で口ばかり達者な野郎どもに少々言われてもキミのように気に病んだりはしなかったけれども」
酷い言い草で飄々と口にした内容は、つまり彼女も色々と言われながら生きてきたという話だった。悩みを感じたことがあるのはなにも私だけではなかったのだ。理解して貰えるひとに出会えた安堵で毎日重かった心がずいぶんと軽くなった気がした。
「さて、ところでその話を聞いてキミに勧めたい本があるのだけれども」
「は、はい」
差し出されたのは見たことも無い装丁で指一本分ほどの厚みの本だった。素材はわからないが妙につやつやとしていて彩り鮮やかだ。表紙に書かれている文字はまったく見知らぬ言語だけれども、何故か不思議と読むことが出来る。
「これは……?」
「お坊さんが書いたサラリーマンの自己啓発本だよ」
「え、ええと……?」
お坊さん? サラリーマン? 自己啓発?
知らない言葉ばかりで残念ながらなにひとつわからない。
「物語とかではなくてね。仕事との向き合い方やひととの付き合い方、心の持ちようとか、あまりひとから聞く機会のない話、生き方の指針とでも言えばいいのかな。そういうのが色々と書いてある本だよ」
「生き方の指針、ですか」
「普段はあんまりひとに勧めないジャンルなんだけど、たぶん今のキミには向いてるんじゃないかな」
聖職者の持つ教典のようなものだろうか。なんとも胡散臭い雰囲気だけれど、彼女が今の私に必要だというのであれば、信じてみる価値はあるような気がした。
「わかりました。ではお勧めのこれをいただきます。本屋ということは、代金が必要ですね。私の世界の通貨ならそこそこ持ち合わせているのですが」
「おや、現金があるお客さんは珍しいね。では王国銀貨二枚でどうだろう」
「め、珍しいのですか?」
ともあれ本の値段としてはずいぶんと安価だ。硬貨袋から王国銀貨を二枚取り出してティーテーブルへ置くと、彼女は笑みを浮かべてそれを手に取った。
「寝巻とかパンイチで来るお客さんもいるくらいだからね。さて、お帰りの前にふたつほど伝えておきたいのだけれど」
「なんでしょう?」
「ひとつはその本の扱いについて。それを読めるのはおそらくキミだけだと思う。だからあまり人目に付くような扱いはしないことをお勧めするよ。どんな因縁を付けられないとも限らないからね」
なるほど、魔族と契約したとか難癖をつけられても証明する方法が無いのだから、確かに誰にも知られないほうが良いだろう。
「わかりました。もうひとつは?」
「これは余計なお節介かも知れないんだけど、キミの上司は思っているよりもずっと、キミに期待しているんじゃないかと思う」
「は、はあ」
そんなことがあるだろうか? とてもそうは思えないが……懐疑的に眉を寄せた私の顔を見て彼女は笑う。
「ピンと来ない顔をしているね。まあ構わないよ。一応そんな話もあったなと頭の片隅にでも残しておいてくれれば十分さ」
「わかりました。お気遣いありがとうございます」
椅子から立ち上がるといつの間にか背後に扉が立っていた。
「気にしなくていいよ。それでは、またのお越しを」
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正直読書はまだ荷が重かったかれども、せっかく勧められたのだからと毎日寝る前に少しずつその本を読むようにした。
そこには色々なことが書いてあった。
言われた言葉の多角的な受け入れ方。
折り合いの悪い同僚とどう仕事をすればよいか。
心が穏やかでなくなったときに考えるべきこととは。
職場、つまり騎士団の活動に自分はどのように関わっていくのか。
すべてを素直に受け入れるのは難しかったけれども、それでもすっかり塞がっていた私の視野はいつの間にかずいぶんと広くなった気がした。そして、彼女の言葉を少しは肯定的にとらえられるようにも。
「だ、団長! 次の作戦への献策をお許しいただきたいのですがっ!」
ある日とうとう意を決して団長に声をかけると、彼は初めて見る笑顔を私へと向けた。
「ふふ、お前がそう言ってくれるのをずっと待っていたぞ。そのために机上戦術運用の首席をわざわざ取ったのだからな」
「え?」
予想外の反応にきょとんとした私の様子に彼は不思議そうに首を傾げる。
「言っていなかったか?」
「伺っておりませんが……」
「叙任の儀式でも『技量を鑑みて』と言われたろう?」
「それは、はい」
あれは定型文ではないのだろうか。
「俺は突っ込むばかりが能で細かいことはイマイチだし部下も俺を慕って来た者ばかりでつまりは似たり寄ったりだ」
「はあ……」
「そこでお前だ。女の身でありながら机上戦術運用に長けていると聞いて武功につられがちな男どもより冷静な視点で判断を下せそうで良いと思ったのだ。だがどうも居心地が悪そうだったのでな。時間を置けばいずれ馴染んで自分から言ってくれるのではないかと待っていたのだが……」
「そ、そうでした、か……それは、あの……申し訳ありませんでした」
「いやいや、わかっていると思い込んでいた俺も悪かった。その、なんだ」
無骨な大男の団長が照れたように視線を逸らしてはにかむ。
「お前も当然に騎士であり部下なのだと頭ではわかってはいるのだが、やはり若い娘を相手にすると緊張してしまって、な」
気後れしていたのは私ばかりではなかったということらしい。
わかってしまえば今までなんと無駄な時間を過ごして来たのだろう。除け者扱いされていると勝手に思い込み団長や同僚たちに不要な気遣いまでさせてしまった。
私が負い目に感じているのは決して間違いだとは思わないけれども、それでも、私からも一歩くらいは踏み出すべきだったのだ。
そしてあの日手に入れた本は確かにその後押しをしてくれた。
ともあれ、私の献策は驚くほどに功を奏した。
元々正面から突っ込むばかりでも十分な戦果を挙げて武名を馳せて来た第七騎士団であり、相対する敵もまたそう考えていたので尚更だった。
以来、常に地形を選び策を巡らす部隊運用により過剰な損耗はすっかり影をひそめ、これまで以上に大きな戦果を挙げられるようになった。
今や第七騎士団は死の切っ先と周辺諸国に恐れられるまでに武名を轟かせ、戦場で相対する全てに不吉を振りまく、敵にとってのみの“アンラッキーセブン”へと変貌を遂げたのだ。
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